人は傷ついたぶんだけ強くなることが出来る。傷ついたぶんだけ優しくなることも出来る。傷ついたぶんだけ心が広くなっていく。そして「傷つくからこそみえてくる」ものがある。それが……(サヨナラ・モンスターでお伝えしている)。傷つくって、思っている以上に良い部分もある。僕は「傷ついてよかったな」って思うようになった。
たくさん傷ついて、たくさん恐怖して、たくさん不安になって、たくさん泣いて、たくさん笑って、本当の自分に近づいていける。今の苦しみは、きっと「これからの幸せ」に繋がっているでしょう。
振り返ってみると1本の線で繋がっていた
「傷」が癒えていく過程で、たくさんのことを知り、たくさんの感情が見つかり、心に大きな変化が起こった。その過程が「サヨナラ・モンスター」なのですが、心の奥のまとまり(モンスター)があったからこそ、新しい視点や解釈も手に入った。振り返ってみると1本の線で繋がっていた。
嫌なことも、意味がなさそうに思えたことも、全て、自分の心が変わるために必要で、意味のあることだったのです。それがわかった。
傷だらけの心は、「書くこと」で癒された
学校の勉強は小学生で放棄し、以後、書くことを全くせず、心が病んだ。そして、僕の傷だらけの心は、「書くこと」で癒されていった。テキサス大学オースティン校の教授ジェームズ・ペネベイカーも、「書くこと」が癒しに繋がることを発見している。これは本当にすごいことです。
「心の傷」のイメージです。傷の周りには、無数の感情などが纏まっている。それらを1つ1つ解いていくには、「理」が必要で、僕は「理」を持って1つ1つ解いていった。「理」で「解」いたら、心は癒された。だから「自己理解」=「癒し」だと確信している。
「サヨナラ・モンスター」は、僕自身の長年の苦しみから生まれた独自の方法で、「書くこと」によって、「認知」や「感情」などに良い変化を起こしていくもの。より深い部分から変えやすいように工夫をしている方法。これを「カルト」と称した嫌がらせをしてきた者がいましたが、アレは「無知」です。これが理解できないから、「カルトだ!」と言いたいのでしょう。嘲笑は、おかしな攻撃は、「私(僕)の理解の限度を超えました!(理解できないよ)」という表れだったりしますので。
「書くこと」が心を癒してくれること、これは研究した人たちも言っていること。調べれば色々な研究に関する情報を見つけることが出来る。僕自身、「書くこと」で「心の苦しみ」が減った。心の奥深い部分にある「苦しみなどのまとまり」、自分がこれを理解できなかったことが問題の1つだった。
僕の場合は、ただ普通に書くだけではだめだった。そして苦しみから解放されたい一心で、サヨナラ・モンスターの書く方法に辿り着いた。この方法によって、深い部分に良い変化を起こすことが出来た。それは「複合的」に働きかけたから。この「複合的」が、心の解放にどうしても必要だった。
僕の場合は、なぜ、心の解放に「複合的な働きかけ」が必要だったか。それは、心の奥の「モンスター(まとまり)」が「複合的なまとまり」だったから。複雑に絡み合っていて、自分でも何が苦しくて、悲しいのか、自分の気持ちがわからなくなっていたり、麻痺していたりしたから。
過去の自分と比較すれば心は大きく変わっている
今の僕は、傍から見れば「幸せ」には見えないと思う。いい加減な人生を送ってきたので、普通からかけ離れていたから。だけど、他人比較せず、自分の過去と比較をすれば、大きな心の変化が起こっていて、それは嬉しいことです。過去よりも穏やかになれ、過去よりも身近にある幸せに気づけるようになれた。これは、本当に嬉しいこと。
だから、あなたが今、自分を変えたい…、そう本気で思うのなら「サヨナラ・モンスター」を試してみて下さい。書くことで自分を癒していく…、これは時に痛みを伴います。苦しいこともある。だけど、それも自分の気持ちですよね。そんな自分の気持ちに真正面から向き合っていけば、心の中の小さな自分は喜んでくれるのだと、僕は思います。
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