僕が育った家庭は機能不全家庭です。一歩間違えば、事件でも起きてしまう可能性があるほどで、心が通うことはありませんでした。子供の頃は、親から押し付けられる価値観、信念、宗教的な考えなどに、反発して生きることが精一杯でした。子供なりに、迫ってくる押し付け、洗脳的な信念の押し付けや強要に、徹底して反発、反抗して、家庭内で、親は敵だと思っていました。
親と心が通うことが全くなかったけど、だけど母が亡くなるまでの数年間は、僕が気づいた大切なこと、例えば、「自己肯定感を高める方法」や「サヨナラ・モンスター」でお伝えしている、「自分が自分の親になること」などを、母に伝え続けました。最初は、全く理解してもらえませんでしたが、時間をかけて伝え続けることで、母もこのこと(自分が自分の親になる等)が大切だと心から納得出来るようになり、時にはこの話で涙を流し、それを見て僕も涙を抑えきれなくなり目に涙を浮かべたこともあり(僕はスケープゴートの立場だったので家族の前で自分の涙を知られることが怖くて仕方なかった)、そして、「大切だと思う心(自分を大切にする、自分が自分の親になる)」を共有することが出来て、少し心を通わせることが出来たということは、機能不全家庭で育った中での、大きな心の成果であり心の財産だと思っています。
母は、捨てられた子だったので本当の親を知りません。このことがとても深い心の傷、深い悲しみとなって帰る場所がない人でした。だから、それから親代わりとして宗教依存になってしまったのだと思います。父と出会った時には母が宗教をやっており、父に勧めたと聞きました。そして母を通して、父も宗教を信じるようになり、宗教を勧めることで、周囲の人たちは嫌がって離れていくようになりました。父も母も、帰る場所もなく、心が孤独でした。家庭は機能不全。宗教を強要するから子供たちは反発して非行に走って徹底して反抗。僕は、全てを狂わしたのは宗教だと、一時は宗教を憎みました。宗教の洗脳こそが僕の家庭を狂わした諸悪の根源だと。そして自分なりに、何年も答えを探し求め、勉強していく中で、わかったことが、宗教が悪いとか、環境が悪いとか、そんなことは大したものではないと。つまり、自分自身を心の拠り所に出来ない自分に原因や問題があるのだと確信したのです。
だから、絶対にこの確信は間違っていない。心の苦しみを減らすためには、自分自身を心の拠り所にすること、つまり、心の管理者となり、心の中の小さな自分の親になることが、苦しみを減らす王道だと確信したので、最も大切だと思うこと(サヨナラ・モンスター)のことを、母に伝え続けました。母は、二度も脳梗塞で倒れ、長文を読むことが難しく、理解力も衰えているので、直接、言葉で伝え続けました。その結果、前記したように、「大切だと思う心(自分を大切にする、自分が自分の親になる)」を共有することが出来たのです。母も、心から納得をしたのです。この時の母は、宗教依存もなく、自分の親になろう、そう気持ちを固めていました。
僕は、本来の宗教の役割の1つは、心の中の自分の親になることの出来ない人(自分を大切に出来ない人)たちが、自分を大切に出来るようになるための「補助輪」のような役割があると考えています。どうしても自分を大切に出来ない人たちの場合は、代わりに神仏イメージを大切にする(神仏を心の拠り所にする)ことで、いつか来るであろう自分を大切にする日(自分の親になる日)のための練習をしているのだと考えています。僕は無宗教ですが、健全な宗教にはこうした健全な役割があると考えています。
僕の母も、最初は宗教の信者で、宗教依存がとても強かったです。そこから、父への依存に変わり、その次に、自分の親になろうと気持ちを固めていました。そして、最期、右往左往することなく、穏やかな最期を迎えました。完璧ではないけど、比較をすれば足りない部分もたくさんあっただろうけど、母なりに、自分を大切に思い、心の問題を乗り越え、自分自身の親になる、その気持ち固めて、自分自身を心の拠り所にして終わることが出来た。これは、素晴らしいことだと思います。1人の人間が、病に倒れ、孤独に苦しみ、深い悲しみの中、「笑顔」を大切にしながら生きてきて、自分の人生の課題をクリアしたのだと思います。
昔、何度か、母から諦めの声を聞いたこともあります。自殺を考えたことがあったのでしょう。それでも、母が書いていた「つらいけど、笑顔」という言葉と共に、最後まで生き抜こう、そう決心していたのだと思います。そして、「捨てられた自分」という深い悲しみを「自分の親になる」という思いを持って、最期まで自分の人生を全うしたのだと思います。
僕は、過去よりも、相手の立場になって考えることができるようになったのですが、母の立場になって考えてみると、僕のような弱い人間では、とてもじゃないけど生き抜くことが出来ない、そう思います。僕なら自殺していたかもしれません。母は、強く生きよう、そう思って、ずっと生き抜いてきたんだろうなと、過去の母の書いた詩の1つ1つを見て思います。
親への恨みを持っていたことがあったけど、母の心の苦しみ、立場、色々わかってきて、僕が事故で死なず生きていたのも、親の愛があったからなのだとわかります。愛があるから、その愛が、子供が事故に遭わないように、死なないように、無意識のうちに注意することが出来るのです。僕自身、殺処分されるはずだった保護猫を飼って9年になりますが、この9年、猫が怪我しないように、殺されないように、死なないように、細かいところまで注意し続けてきて、サヨナラ・モンスターの書く作業をしている時などに、ふと思ったのです。「俺が今生きているのは、親が細かいところまで注意してくれて、気配りをしてくれていたからだ」と。こういった気づきが、「恨み」が「感謝」に変わることに繋がったのです。有ることが難しいこと(親からしてもらったことなど)は沢山あったのです。
最初は、辛かったけど、苦しかったけど、心が痛かったけど、寂しかったけど、、、機能不全家庭で育って良かったです。この答えを出すまでに何十年もかかりましたが、貴重なものを見ることが出来て、それは僕にとって必要なものだったとわかってきました。
自分自身を心の拠り所にする、心の中の小さな自分の親になる、これが王道だと確信するまでの間に、僕の心の変化だけではなく、母の心の変化も見てきて、それも確信に至る1つの材料になっています。僕が信じたことを母も信じてくれて、それを母なりに心の中でやって、母なりの結果を出してくれた。有難う。
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