この記事の要約(ChatGPT4.0より)
最近、僕が発信している情報(サヨナラ・モンスターやエモーションプラス、他ブログ等)に対しての反応から、「自己理解〜自己成長に取り組もうとする人が増えている」と感じています。これはとても嬉しいことです。
この記事の目次
人間の幸福には精神的健康が必要不可欠
人間の幸福において、精神的健康は必要不可欠です。そして、「自己理解〜自己成長に取り組む」ことが精神的健康に繋がっていますので、この意識が高まっている人が増えているということは、精神的健康になる人が増えて、幸福を感じる人も増えてくるということです。
精神的に不健康だった子供時代の僕
子供の頃の僕は、家庭環境に絶望して、投げやりになり、自暴自棄になりました。そして周りからの汚い嘘で悪役にされて、決めつけ、濡れ衣、そういった理不尽なことを受け続けていたことから彼らを敵視して、人間不信になり、彼らのいる世界を心から嫌い、僕は非行に走るようになりました。そして13歳から非行に走って、少年院に入るまで悪いことをし続けました。
少年院の中で信じられる大人に出会う
18歳の頃、少年院の中で生まれて初めてと言っても良いくらい、信じられる大人に出会いました。それが更生のきっかけでした。それからの僕は、少年院の中でも大きく変わりました。それまでは少年院の中でも規則を破ってばかりで個室に閉じ込められて怒られてばかりでしたが、更生する気などありませんでした。そんな中、僕の心を根底からひっくり返すくらいの心を持っていると確信した大人(教官)に出会い、僕はその人を信じることが出来ました。これが再び人を信じ始めた瞬間です。
生活が一変した
信じられる大人に出会った僕の少年院生活は一変し、少年院の中でも腐っていたのに、そこから他の人が滅多に取ることが出来ない成績(大きなB)を一度だけ取ることが出来ました。ほとんどが頑張ってもCのAかCのBくらいなのに、僕は大きなBを取りました。それを言い換えるなら、先生が、先生レベルで信頼出来る、任せられる部分があるというくらいのレベルです。
つまり僕は、先生から、菅原がいると寮全体の風土が良くなる。と判断されたのです。農耕作業なんて本来は走ってやらなくて良いのに、やる気が溢れてしまって、僕は走ってやりたいと申し出て、教官から許可をもらったので走って収穫した野菜を運ぶリヤカーみたいなやつで炊事場まで運んだり、気合を入れて作業をし続けていました。それが寮の半分に伝染して、みんなでやる気を持って楽しく作業をし続けていました。そんなことも良い成績の要因の1つでした。
嬉しかったことは、みんなの前で「お前らも菅原を見習って頑張れよ!」と言ってくれたことでした。こういった支えがあったから、腐っていた僕は少年院の中で一変し頑張ることが出来ました。自分に出来る限り生活を頑張ろう。そう思ってから色々と挑戦しました。その1つに「精神的健康になるには?心の健康を保つコツ」にの第1章に書いた「駅伝大会」への参加もあります。よかったら読んでみて下さい。書籍の中で、少年院の学院通信の写真を掲載していて、そこに写っているのが僕です。小さな写真なので見にくいですが、当時、頑張っていた僕の写真を先生が撮ってくれたのですが、それが保護者に送る学院通信に掲載されたものです。
自己価値感や自己重要感を感じられるように
機能不全家庭ではゴミのように扱われて生きてきて、自己無価値感だらけになったのでそれを補正するかのように非行に走って歪んだ自己価値を感じるようになっていました。そして少年院の中で13ヶ月という短い期間でしたが、健全な生活と、正しい人間たちの中で育ててもらい、当時の僕は自己価値を感じたのです。自己無価値感だらけだったのに自己価値感や自己重要感を感じられるようになれました。そこから僕はやる気が出てきて、生活を頑張り、毎日が楽しくなり、自分が成長していきました。
家に帰ったら再び薬物依存に
前記した良い変化があったのに、当時は、自己認識が足りていなかったのので、そのまま機能不全家庭に戻ってから、どんどん病んでしまい、少年院に入る前にも増して、精神的に参ってしまいました。家庭からの悪影響が強すぎて、それを認識出来ていなかったので防ぐことも出来ずに、悪影響を受け続けていたのです。その結果、再び自暴自棄になって、薬物依存に陥ってしまいました。
この経験があるから「気づき」の重要性、自己認識や自己理解の大切さを発信し続けています。それが出来ないことが、無意識に悪影響を受ける原因になるからです。それを防げないままでいると、最悪、人によっては自死です。気づかないレベルで限界に達して絶望する。それが自死に繋がる場合があります。だからこそ気づいていかないといけないのです。明らかにしないと。その作業がサヨナラ・モンスターです。
31歳で自己認識を開始する
過去の僕は自分がどうしてそうなるか(病んでしまうのか)全くわかっていませんでした。そして31歳の頃に家族から離れたことをキッカケにして心が軽くなった感じを受けて、苦しみから自己認識も始まり、ようやく、自分が如何に家族から悪い影響を受けていたのかを知ることになったので、それを少しずつ遮断することが出来ました。そこから時間をかけて自己肯定感、自尊心を回復させていったという流れです。僕の場合、自己認識をしなかったら死んでいたでしょう。
心理学三大巨頭の1人ユングが言った下記のことです。
ある人に運命的な必然によって自己認識の要求が迫っている場合で、しかもその人がそれを拒むとすれば、
このような否定的な態度は、本当の死を意味することすらある。
なぜなら、もし彼が見込みのある何らかの脇道を歩むことができたのであれば、
このような要求が迫ってくることはなかったであろうからである。
しかし彼は袋小路に入り込み、そこから抜け出るにはもはや自己認識以外に方法がないのである。
これを拒めば、もはやどんな道も開かれていない。普通こういう人はまた、自らの状況を意識していず、無意識であればあるほど、
それだけ予測できない危険にさらされている度合いも強い。・・・無意識は、無意味な生存を驚くべき速さで抹殺する無数の方法を知っている。
結合の神秘 第六章 結合より
つまり、自己認識の要求が迫っていて、自己認識をせざるを得ない状態に追いやられていた過去の僕は、本当の死が目の前に迫っていた状態だと考えることが出来ます。自己認識をしなければもう少しで自死だったと思います。僕を悪者にして汚い嘘で生きてきたとある人間にとって、更生して抵抗力をつけようとした僕の存在は脅威になりますので、その者にとっては僕に死んでほしかったのでしょう。そう考えると、一方的に執拗に精神的に追い詰めてきた巧妙狡猾な手口にも納得がいきます。
自己認識の要求が迫っている場合、それを拒んではいけません。心理学三大巨頭の1人ユングが言ったように、自己認識の要求を拒むと本当の死を意味することすらあるのです。
苦しんで良かった
過去は辛かったです。本当に苦しかった。だけど、それで良かった。今はそう思っています。あの苦しみがあるからこそ、僕は創意工夫を持ってサヨナラ・モンスターなどを発信出来るので、苦しまない人生なんて嫌です。苦しんでいる過程は辛くてもう耐えられないと何度も思いましたが、それを超えていくと、人は強くなって、新しい何かを得ます。その全体像がわかったときに「あれで良かったんだ」と、過去のマイナスも受け入れることが出来るのです。そして自己価値感、自己重要感も感じます。
それをどうしても伝えたいと思って形になったものがサヨナラ・モンスターです。
先日下記のレビューが掲載されました。
(https://sayonara-monster.com/post-1207/)より
1人でも多くの人が、自己価値感、自己重要感を感じることが出来るように、サヨナラ・モンスターをずっと残しておきたいと思っています。
自己認識や自己理解は、自分を救う強力な方法
話は逸れてしまいましたが、僕が言いたいことは自己認識や自己理解は、自分を救う強力な方法であるということです。そしてそれが精神的な健康に繋がっていき、幸福感の基礎になるということです。だから、サヨナラ・モンスターで自己認識を始めてもらっているのです。その具体的な作業の始まりが教材本編の「必ずメモしておくこと」です。サヨナラ・モンスターの会員限定コンテンツ内に下記記事を投稿しました。購入者さまは読んでみて下さい。
ChatGPT4.0より
まとめ:この記事は正しいか? ChatGPT4.0の意見
ChatGPT4.0より