モンスター(まとまり)を小さくしたら強迫観念や強迫行為が消えていった
過去、車に乗れば、「人を轢いた!」と思い、車から降りて確認し、強迫観念や強迫行為に囚われていた。その背後にあった「モンスター(まとまり)」を小さくしたら、強迫観念や強迫行為は消えていった。今は、問題なく、車の運転も出来ている。
→ 「モンスター(まとまり)」を小さくした方法
→ 強迫観念と強迫行為を克服出来た理由
「心の問題集」を解いて臆病風を吹き飛ばしたらパニック発作も起こらなくなった
あと、車の運転中に(とくに信号待ちやトンネル)、パニック発作もよく起こり、一人で車に乗れないこともあった。これも、心の深い部分にある「モンスター(まとまり)」を、一つ一つ、解いていったら、起こらなくなった。「モンスター(まとまり)」は、「心の問題集」です。
解いて、「エモーションプラス(第二版)EQ(心の知能指数)を高めるトレーニング」で自分の感情を感じるようにしたら、パニック発作が起こらなくなりました。
どうやら、臆病風に吹かれた(ネガティブ感情の暴走)が、大きな原因の1つだったようです。「エモーションプラス(第二版)EQ(心の知能指数)を高めるトレーニング」で臆病風を吹き飛ばしてみました。
→「エモーションプラス(第二版)EQ(心の知能指数)を高めるトレーニング」
自分を大切にする勇気が必要だった
この、モンスター(まとまり)を解くには、「勇気」が必要です。自分を大切にする勇気…。その準備が出来た人だけ、「サヨナラ・モンスター」を試してみて下さい。勇気が出ないときは、「薬」に頼るのも、一つの選択肢だと思います(僕は薬は嫌いだから頼らなかった)。
子供頃から、「自分の命よりも、宗教の紙切れを大事にしろ」と言われて育ち、自分で自分を大切にするということがまったくわからなかった。だから、ずっと自分で自分を傷つけて、投げやりに生きてきて、そして、心は地獄に落ちたかのように苦しくなって、ようやく、「自分を大切にすることが大切」だと心から思えるようになった。
自分を大切にする勇気を持ってから、それまでの色々な症状が好転していった…。
この記事を読んでいるあなたがやるべきこと、それは「自分を大切にする」ということ。
(心の中の小さな自分の親になってあげること)
「自分の命よりも、宗教の紙切れを大事にしろ」と言われて育ったことに感謝
「自分の命よりも、宗教の紙切れを大事にしろ」と言われて育ったことに、過去、恨みを持ったし、深い悲しみもあった。何で「自分を大切にしろ」と言ってくれなかったのか、悲しんだこともある。
だけど、今は、それも感謝に変わっている。まず、今の僕は、「自分の命よりも、宗教の紙切れを大事にしろ」という言葉に支配されていない。つまり、「信念」を持っているから、その言葉に支配されないし、流されないのです。では、この「信念」の原点は何処にあるのか?
それが、「自分の命よりも、宗教の紙切れを大事にしろ」と言われて育ったことです。
※宗教の紙切れとは、その宗教が最も大事にしているもののこと。
来る日も来る日も、「自分の命よりも、宗教の紙切れを大事にしろ」「強盗が入って殺されても、自分の命を投げ出してでも、宗教の紙切れを守れ」「火事になって自分が焼け死んでも宗教の紙切れを守れ」と言われていた。で、自分もそんなに気になっていた。
それが、「信念」の「核」になっている。
そして、今度は、「宗教の紙切れ」を「自分の命」や「心の中の小さな自分」に置き換えて思えるようになっている。
「自分の命よりも、宗教の紙切れを大事にしろ」「強盗が入って殺されても、自分の命を投げ出してでも、宗教の紙切れを守れ」「火事になって自分が焼け死んでも宗教の紙切れを守れ」
「自分の命よりも、自分の命を大事にしろ」「強盗が入って殺されても、自分の命を投げ出してでも、自分の命を守れ」「火事になって自分が焼け死んでも自分の命を守れ」
「自分の命よりも、心の中の小さな自分を大事にしろ」「強盗が入って殺されても、自分の命を投げ出してでも、心の中の小さな自分を守れ」「火事になって自分が焼け死んでも心の中の小さな自分を守れ」
つまり、自分を大切に思えるようになるまでの、1つのプロセスだったのです。
自分を大切にする「信念」の「核」になっていたことに気づき、過去の深い悲しみの心の傷が癒され、プラスになったのです。これが「サヨナラ・モンスター」による気持ちの変化です。
※僕は無宗教で、今も、これからも、宗教は好きじゃありません
本当に、苦しい、辛い、もう耐えられない…、と心から思う人は、自分を変えようとする
本当に、苦しい、辛い、もう耐えられない…、と心から思う人は、自分を変えようとする(そのままじゃいられないから本気になる…)。余裕のある人は、自分を変えようとはしない。「サヨナラ・モンスター参加者」は、本当に自分を本気で変えようと思った人たち。素晴らしい人たちだと、僕は思っている。
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