つらい、苦しい、寂しい、死にたい。
親の死が、これほどつらいとは思ってもいなかった。とても悲しく、寂しく、死にたい気持ちになってくる。人間だからそんな日もある。
機能不全家庭で育ち、家庭は滅茶苦茶になり、親子関係も不仲、兄弟間でも色々なことがあった。兄弟の操作的な影響が親を狂わせていた部分もあったのだと思います。そして、家族がバラバラになってから、数年間、僕は両親との関係修復のために、たくさんのことを伝え続けてきて、関係が良くなっていった。そして僕自身も、人間らしさを失っていたところから、少しずつ、人間らしさを持てるようになってきていた。もっと成長したら、伝えたいこと、してあげたいこと、色々あったけど、それは親の死で、叶わないことになりました。
両親と関係が良好になってからは、僕が本を出版してみたり、購入者から感謝の言葉が届いたときは、一緒に喜んでくれました。僕が大切だと思うことは、実家に行って、何度も伝えました。その度に親は笑顔で聴いてくれて、時には涙して、僕の話を真剣に聴いてくれていました。それが人間不信で傷だらけの僕の心癒されていくことに繋がっていました。それなのに、その時の僕は、親を違う視点で見ていて、その気持ちにちゃんと応えられませんでした。親の心が、そのときは見れなかったです。それは僕の心が曇っていたからです。人の心が見れない心だったのです。それを晴らしたのは母の死でした。とても悲しかった。
母は、北海道で心が解放されて、父との絆を深めて、本当の親を知らない母は親代わりを欲しがっていた。父に心を育ててもらいながら、育てられることを知って、今度は自分で自分を育てて自分の親になるって決めて、それをしっかり心に固めて生きたのです。だから、穏やかな顔で、安心して息を引き取った。血色もすごく良く、2つの大切なものを待っていたかのように、それまで頑張って生きてくれました。
僕が、サヨナラ・モンスターでお伝えしていることを母にも伝えていて、時に、涙して、自分が自分の親になること、これを自分の気持ちを言えない母も、少しずつ身につけていきました。そして、「死ぬことは怖くないと思えるようになった」と言っていたこともありました。自分が自分の親になることで、死への恐怖を克服していたのです。そんな母の心を、そのときはちゃんと知ることが出来ませんでした。小さい頃から自分の気持ちを言えなかった母は、つらいことも、寂しいことも、悲しいことも表に出さないように生きていました。父も同じで、その2人育てられた僕も、自分の気持ちを言えませんでした。5歳までほとんど喋らなかったと言っていました。僕が感じていた言いたいことを言えない苦しみは、両親も感じていたのです。
そんな母から、自分の気持ちを言えない分、黙って大切なことを教えてもらえたような気持ちです。母に育ててもらえて良かった。深い、親の愛に気づけた。母から教えてもらったものを心に大切に持って、母という「人」と「共」に心の中で「養」う、それが「本当の供養」だと思った。これから僕の心の中で養われるものは、母から気づかされたものがあるからこそです。二度も脳梗塞で倒れ、癌にもなり、それでも自分より子供たちの成長を笑顔で喜んでくれていた、こんな素晴らしい母親の生き方、生き様を見ることも出来ないほど、過去の僕は、見る目が腐ってたんだなって。違う視点を母から教えてもらえた。本当に大切なものは、目立たないところにあることにも気づかされた。
前は、親から酷い扱いをされた過去の記憶で、親を見ていたのでした。その間、親は変わり、大きく心が成長していた。子供たちにも申し訳ないことをしたと思い、その気持ちから成長に繋がっていた。それなのに、その変化に気づかないまま、過去の記憶で親を見続けていたのは、勇気がない俺の心だった。
親の死は、生きることの大切さを教えてくれる、最も大切なこと。それまで気づけなかったこと、心の曇りを晴らしてくれる。ありがとう。本当に、ありがとう。必ず、まだ言えていなかったことを直接伝えるから。それまでに、もっと成長するね。つらい、苦しい、寂しい、死にたい。こんな気持ちになったけど、生きるということを、もっと深く、真剣に考えていこう、前向きな気持ちも出てきました。
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