「明日もし君が壊れても – WANDS(歌詞)」 という曲です。
以下はZARD の「明日もし君が壊れても」です。
この曲は私が17歳だった頃に聞いていた曲です。シンナー中毒で恐喝をしてご飯を食べ、暴走族をやっていた時。私は何もかもが楽しくなかった。生きている事さえ苦しく自殺はしたくない。二十歳までに死ねばいい・・・。俺は生きている価値さえない・・・。誰一人俺の気持ちを解ってくれる人はいるわけがない・・・。
心はボロボロだけど、誰にも言えない。強がるしかできない。泣くことも出来ない。涙が出そうなときはいつも気づかれないようにその場を立ち去っていた。
苦しく辛い思いをいつも抱えているのに”それ”が何なのかさえわからずにいました。
この歌は17歳の時に彼女とシンナーを吸いながら暗闇の中で悲しみが何かさえも分からないまま朝が来るのを待っていた時に部屋でリピートしてよく聞いていた曲です。
夜が怖くて、眠れなくて、シンナーを吸い幻覚の世界に逃げていたのです。
そして、自分が正しいのかそれとも自分は間違っているのか。
自分の求める愛は時代遅れで間違っているのか。
俺は白か、それとも黒か。
誰の意見が正しく、誰が間違っているか。
何故、俺は間違ってないことまで間違っていると言われるのか。
善人とは何か。悪人とは何か。悪人のフリした善人。善人のフリした悪人。人は仮面を被っているのは何故だ。
俺は間違っているのか・・・?
それとも俺に刷り込んでくる側がおかしいのかわからずに苦しさや悲しさと一緒に朝が来るのを日々待っていました。
そんな気持ちを一時的に癒してくれるのが当時の彼女です。
ボロボロだった自分にとって唯一の存在だったのです。
そんな当時の彼女がレンタルしてきた中に「明日もし君が壊れても」 が入ってきて、当時から気になっていたものです。
どうして、気になっていたのかが、最近になって分かるようになってきました。
この歌の歌詞は当時17歳だった自分の気持ちを表してくれるような歌だったのです。
愛とは言えないものだったけれど、当時の彼女を好きになり、初めて人を好きになる、愛するというような事をわずかにだけ感じられたのでしょう。
どん底に落ちた気持ちで、何に縛られているかもわからず、苦しみ、悲しみ、せめて綺麗でかっこよく死ねる場はないだろうか?と探して二十歳までに死にたいと願っていた私も、今は生きています。
結局は死ななかったのです。死ななくてよかったと思います。
抜け出せないほど心理的に縛られ雁字搦めで鋼鉄の鎖で心を固く縛られていたのです。
その後に少年院に行く事になり、そこで生まれて初めて自分に真剣になってくれる先生がいたことで「知らない事」を「知った」のでした。
私は誰からも大事にされた経験もそれまでなくて、私のことを考え真剣になってくれる人もいなくて、転校の連続で、家庭も問題ある家庭でしたので温かさがなんなのかがわかりませんでした。
いつも戦場にいるような張りつめた空気。
そんな中、少年院はとても温かく落ち着いて心が安らぐ空間でした。
何度も少年院に帰りたい!と出院後も思った事があります。
俺の故郷は少年院かもしれない。
心の中の故郷は少年院だ!
俺は社会不適合者であり、家族不適合者でもあるかもしれない。
少年院だけが俺のまっすぐ見てくれる。
どうして逆転しているんだろう?
少年院が正常で、家庭は異常。
だけど悪いことをすると少年院と言う温かい所にいける。
厳しさはありましたが、厳しさの中に温かいものがあった。
理解が出来ないままでしたが、今なら解ります。
親も苦しんでいたのです。
親の苦しさを子は背負うのです。
背負うからこそ親の苦しみも解るのです。
理解は癒しです。
苦しみを背負うから理解し癒せる。
子は親の苦しみを癒す力があるのです。
簡単な事ではありません。
しかし諦めなければ変えることが出来ます。
私が10代の頃、地獄のどん底のような苦しみは親も同じように苦しんでいたのです。
信じ切ると相手の悲しみも苦しみも不思議と分かってくるものです。
そこにはどんな根拠も証拠も不要です。
親子、家族は、苦しみや悲しみを背負ったり背負わせたりしながら乗り越えていくものなんだと私は思います。
今、死にたい気持ちを抱えている方は、そのことが必ず後に繋がっているんだと思います。
意味のないことなど一つもない!と言いますが、本当その通りだ思います。
死ぬほど苦しい人は、それが何かに繋がっているのです。
そして、繋がっているものの先は自分が本心で望んでいるものなはずです・・・。
本当の自分の気持ちは奥深いところに隠れているのです。
いつかあなたは気づくときがくるでしょう。
本当の自分が、無意識の中にあることに。
そして、その自分を取り戻すことができれば、苦しみも悲しみも自分で望んでいたことに気づくでしょう・・・・。
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