はじめに
人は自分のことをわかってくれていると心から感じるとき、心を開いて相手を信じます。そのときが、その人間の変わるときです。このときに相手を裏切ることは決してあってはなりません。
この記事は支援をする側にとって有益な情報を提供しています。
※画像出典:DALL·E 3 ※画像はAIで生成したイメージです。
少年院:僕の心が変わった理由
書籍にも書いたことですが、僕が18歳の頃、少年院の中で規則を破ってばかりで個室(単独寮)に閉じ込められていました(少年院用語では調査:取り調べを受ける)。最初は更生なんてする気もなく、1度逃走しているので、また逃げてやろうかと考えたりもしていました。
少年院では、厳しさなどが少年院によっても違いますし、同じ少年院でも時期によって厳しさが変わります。僕が入っていた少年院では、当時、特に厳しくしているとのことでした。それは少年院側がまともで本気で少年たちを更生させたいと考えていたからです。だから些細なことでも見逃すことなく厳しく扱われました。(深夜)無断で会話したり、不正通信をしたり、そういったこともバレればたったの1回で確実に調査になります。調査とは、要は取り調べのようなもので、その結果、謹慎処分も決まります。成績も悪くなるので出院も遅れます。
前記したように、僕は少年院でも投げやりでした。規則を守ろうなどとは考えておらず、最初は、その少年院も腐った大人たちだと思っていたのです。
下記の引用文をお読みください。
『「大人は敵」教官の胸ぐらつかむ少年 寄り添った先に:朝日新聞デジタル』から
「適当にやっておけばいいや」
知人を殴るなどの傷害事件を起こした18歳の少年は、少年院に入った当初はそんな気持ちでいた。大人は敵。不信感しかなかった。[mfn]引用文献:「大人は敵」教官の胸ぐらつかむ少年 寄り添った先に:朝日新聞デジタル(https://www.asahi.com/articles/ASP4V3VXTP32UTIL01C.html)[/mfn]
当時の僕も同じで、大人は敵、裏切り者、嘘つき、子供のせいにする悪人、腐った大人ばかり、信じられるまともな大人はいない。そういったことを思っていました。だから少年院でも規則を破ったり、優等生のフリをして早く出ようとも思っていませんでした。また移送になるならなればいいと思っていましたので、何度も規則を破ってバレて調査になって個室に閉じ込められるということを繰り返していました。そしてそこに毎日足を運んで僕に会いに来ていたのは担任ではない先生です。僕に会いにくる必要もないのに、毎日ブツブツと言ってきては時に怒って真剣に向き合おうとしていました。人間不信だった僕は、大人はみんな腐っていると思って投げやりに生きていたので、僕の心には何も響きませんでした。うるさい奴がまた来たかと。
しかしある日、いつものように怒っていたのですが、先生の目には涙が溢れていました。僕はそれを見たときに直観で(直観の的中率は90%:イスラエルの大学の研究)「この人は腐った大人じゃない」「俺のことを本当に心配している」など、そういったことを感じました。それまでの関わり、先生の言動などから、一貫性のある本物を感じたのでしょう。その先生は当時の投げやりに生きて心を閉ざしていた僕を心から心配してくれていたのです。それが伝わってきました。生まれて初めて大人から心配してもらったとそのときに感じたことで、僕はその先生を信じ始めたのです。それからの僕は、人が変わったように少年院生活を頑張り、真面目にやり、本気で取り組みました。
少年院に入る前とは違い、少年院の中では嘘偽りがなく、歪曲も、でっち上げもなく、正しく認めてくれて評価してくれて、それが嬉しくて、どんどん生活を頑張りました。僕が入った少年院では、最短約10ヶ月くらいで出院できるところでした。中等長期です。しかし僕の場合は、前半規則を破っていたので進級も遅れていて、後半かなり良い成績とったので、結果、約13ヶ月間で出院が出来ました。もし後半も投げやりに生活をしていたら、2年とか、あるいか移送になっていたと思います。少年院からもお前は移送になると警告もされていました。その前の少年院で逃走をしていて、少年院の中の規則では逃走が一番重たいことなので、僕はそれをやって、中等短期から、別の中等長期の少年院に移送になった身分なので、他の人よりも移送されやすい立場だったそうです。他の人が2級下から始まるのですが、僕は3級からのスタートでした。1級上で出院です。そんな中、約13ヶ月間で出院できたのはかなり早い方です。それほど頑張れたのも、真に値する先生の支えがあったからでした。
その先生はあの頃、僕をどう見ていたのか?
その答えは、少年院を出院して、心が折れそうだったときに一度だけ出した先生への手紙の返事に書いてありました。その部分を引用させていただきます。
私があのころの君に見たものは、自分と同じ、故郷を持たない者の陰でした。
子供の頃の僕には帰る場所も、故郷も、何もありませんでした。あるのは、投げやりに生きて薬物に逃げてギリギリの安定を保つだけの居場所とも言えないものでした。
先生も同じようなものだったのか。そんな辛く、そして苦しみの中、法務教官となり、少年院の先生になり、僕らのような世間でゴミ扱いされている(不良品のレッテルを貼られている)人間たちを「人」として見てくれて、そんな勇気ある正しい大人を見たことがなかったので、僕にとって少年院は「心の故郷」になっています。それがあったから悪いことをやめることができました。
先生は故郷を持たない人間で、僕もそうでした。だからその苦しみや悲しみを知っているから、当時の僕を見て、理解してくれていたのだと思います。その理解を心から感じて、信じることができると確信したからこそ当時の僕は心を開いてみたのでしょう。もしあの頃の僕を騙して裏切るような先生だったとしたら、、、。昔なら危害を加えてしまったかもしれません。だけどそんなことはなく、最後まで裏切られることなく面倒を見てもらいました。
人間が変わるとき
人は自分のことをわかってくれていると心から感じるとき、心を開いて相手を信じます。そこに嘘偽りなく、「理解」と「信」があれば、その人間は変わることができます。
心理的な蜘蛛の巣:暴走族洗脳
世間の一部は汚いです。煩悩まみれな者たちが自分たちの邪悪さを抑圧し、それを隠し続けるために身代わり(スケープゴート)を必要とします。そのときに昔の僕のように、スケープゴートや心理学の知識が全くない人間が、不当に悪者扱いされて、不良品のレッテルを貼られてしまい、それを理解出来ないまま、解決もできないまま、隅に追いやられてしまうことがあります。
そんな少年たちが最後にたどり着く場所が、一昔前なら暴走族だったのです。しかしその暴走族の大半は、蓋を開ければ暴力団の支配下にあり、詐欺師も多く、心理的な蜘蛛の巣に引っかかる世界です。暴力団の多くは汚い世界で、知識のない人間が食いものにされる世界です。少年少女にとっては難易度の高い環境なわけです。
そこで染まって本当の自分を見失い、それさえも気づかないまま恐怖への同一化で死ぬまで本当の自分に戻ることができないまま人生を終える人が殆どだと思います。その仕組みに気づき、どのように利用されてきたのか、それらを解かないと、いつまでも「昔の刺激」が忘れられず、それが自分の中で重要なものだと思って生きることになるのだと思います。
だから必要なことは「心の問題解決」なのです。自己認識と自己理解を深めて、未解決な心理的な問題を認識し、それを解決することで、本来の自分を取り戻せます。これをやり終えるまで、心の中では何かに支配されたままなのです。で、これは自分の中だけで解決できる問題ですから、誰かを責める必要はありません。心理的な蜘蛛の巣に引っ掛かった自分を心理的に救うことが重要です。
それができると自分のことを深く信じることが出来ます。こうして暴走族洗脳を解き、心理的に成長することが出来ます。
おわりに:つまり、何が言いたいか?
僕の子供時代の少年院の先生との話、大きく心変わりした理由、それをお伝えしました。僕が変わることが出来たのは、信念を持っていた先生の真実と勇気、それを知ったからです。
僕はスケープゴートタイプだったので、如何に他人を悪者扱いする嘘つきが、卑怯者かつ臆病者かを知っています。だから彼らは群れて群れの力で支配しようとします。それに染まる人間が多いのに、それに染まらず、自分の信念と思考で生きれる人、自分の目で見て、正しく判断できる人は勇気ある人です。
僕はそんな人間を知ったから、変わりたいと思えたのです。
つまり、人を支援する立場にある人は、知識や技術、教科書で学ぶものよりも先に、人格を磨き、人間として誠実であるべきです。相手を裏切ることなく、真実を見て、真実と事実で関わることを大切にするべきです。
虚言に翻弄された支援者は無自覚のうちにセカンドハラスメント加害者になります。
真実を見る勇気がないから虚言に翻弄されるのです。
魚は頭から腐る:人間は頭から育つ
魚は頭から腐るということわざがあります。つまり「人間は頭(上の人間)から育つ」ということです。上の人間がしっかりしていれば下も自然と育つのです。なぜ僕が子供時代に入っていた少年院の先生たちは素晴らしい人が多かったか? それは院長が素晴らしい人間だったからです。下記の文章は過去記事に書いたことです。
僕が子供の頃に入った少年院には立派な教育者がいっぱいいました。院長が素晴らしい人格者でした。院生の中に暴力団組員を刺した少年(東京の暴走族:練馬悪霊という有名なチームの人間)がいました。出院後、その暴力団から酷い目に遭わせられないよう、少年院の院長自ら足を運んで、1人でその暴力団組員のところに話をしに行ったことを教官から聞きました。そして話をしっかりして相手も納得をしたそうです。こうやって末端の子供達の未来も心配して道を示す人こそが教育者であると思います。
このように、院長がみんなの親のような存在で素晴らしい人だからこそ、他の先生方も素晴らしい人だったのだと思います。こういった良い伝染を、1人1人が自分の周りにしていく努力をするからこそ、腐敗の侵食を食い止めることができるのだと思います。僕は無宗教ですが、宗教的な言い方をするのなら「腐敗」=「悪魔」です。その侵食を許す人間たちが多いところに、腐敗、不正(歪み)が入り込んで増えるのです。そしてそんな者が多いところでは、身代わり、生贄、悪役(スケープゴート)が必要とされるのです。これが煩悩まみれな者たちの実態の一部です。
だからといって、スケープゴートを必要とする側を叩いても意味がありません。彼らは勇気が挫けた者の集まりなのです。そして支配されているような状態です。本人が勇気を持って自ら変わろうとしないと変われないし抜け出せません。必要なことは「叩くこと」ではなく「勇気づけ」です。
この記事に共感してくれる方は、まず自分、そして自分の周りを健全なものへと変えていきましょう。それをやる人が増えると、その勇気が伝染します。そして環境が健全になると人間も健全に育ちます。
少年院での農耕作業中に虹が出た時に、先生が、「お前たちと離れても、お前たちが良くなっていくことをずっと願ってる。虹を見た時に思い出してな」というようなことを言っていたことを思い出しまました。
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