悪循環にハマらないために大事な視点
親からの愛に飢えると、底なし沼です。いつまでも、永遠に、親が親が、と言い、親に期待して親に何かをしてもらうことを願っては叶わず不貞腐れたり、親を悪く言ったりして、親を恨み、恨み続けて生きることで苦しみの悪循環にハマって抜け出せなくなる場合があります。
そんな悪循環にハマらないために大事な視点が、記事タイトルに書いた「親からの愛情なんて3歳までで十分。」という視点です。そして、この言葉の中には、自分の想像を超える親の努力や愛情があったことに気づくことも含まれています。それがわかるようになって、大人の階段を昇り始めたと言えます。
母親が亡くなる前に伝えることができた
書籍「親への恨みはでっち上げ」でお伝えしたことをご紹介します。
機能不全家庭で育ち、親子らしい関わりはできなかったけど、、、母親が亡くなる前に下記のことを伝えられたことはよかったです。
終わり良ければ全て良しと言いますが、本当に最後が良ければ(関係が修復されていれば)、その間、どんなに嫌なことばかりだったとしても、終わりが良ければ全体的に「これで良かった」「ありがとう」と思えるのです。
このことも、母に伝えることが出来て、過去の心の重荷を下ろすことに繋がったと思いますので、良かったです。
「過去は最悪だった」「うちは最低の家庭だった」という見方、から「過去は自分たちなりに最善を生きた」と別の見方があることに気づき、そのことを母に伝えられて、その時、母は涙を流していました。これも母の心が軽くなることに繋がったと思います。
ありがとう、漢字で書くと「有難う」、これは有ることが難しいと書きます。1つ1つの物事に対し、理解が深まってくると、親からされてきた良かったことは、有ることが難しいことだったのだと、親が子を思うからこそ出来た事もあるのだとわかるようになりました。
それがわかってくると、9歳以前のこと、そして9歳から13歳のほんの少しの良い記憶、そして亡くなる数年前からの良い記憶、これだけで十分じゃないか。十分すぎるくらいあったじゃないか。そう思えるようになったのです。
そして対立していた時期のことも、親は親なりに変わり、子供に申し訳なかったと思い、大きく変化していたのです。それを僕が未熟すぎて見ることが出来なかったのです。
今は、それがわかるようになりました。人は、変わっていないように見えても、何らかの変化を起こしているのです。それを見ることが出来ませんでした。
だけど今は、それが見えるようになりました。この成長も、あの家庭で育ち、あの親の元で育ったからです。ありがとう、そう思います。
僕も過去は親や自分の境遇を恨みました。だけど、自分と向き合いながら正しい知識を身につけ続ける中で、新しい視点や解釈が手に入り、自分の苦労や苦しみを通して、「親も変わっていた」ということに気づけたのです。
変わらないものなんて何一つない
諸行無常、全てのものは、絶えず変化しています。しかし自分が変化しないで生きていると、その変化に気づけないのです。過去、僕の成長は止まっていました。だから親の変化や成長が見えなかったのです。だけど僕なりに成長すると、なんと、実はそれまでにも親は変わり続けていたことがわかるようになったのです。このことを、読者の方にわかってほしいな、、、と思います。
「諸行無常(しょぎょうむじょう)」は、仏教における重要な教えの一つで、「すべてのものは常に変化し、永遠に同じ状態でいるものは何もない」という意味を持ちます。この言葉は、現実世界のあらゆる現象や事物が生じては消え、変化を続けるという真理を表しています。
今生きていることが愛情をもらった証拠
3歳までに愛情をもらったからこそ、今の自分は生きているのです。もし愛情がなかったら生きることができなったという事実に気づくだけでも、十分すぎるくらいの愛情をもらっていたとわかります。それ以上、親に愛情を求めるというのは、自分の未熟さの現れであり、かつ親を苦しめ負担をかけ続けるってことです。心の深い部分を探ってみてください。たった一つであっても、温かい親の愛を感じられるものがあります。それを感じただけで、もう十分だと僕は思います。その親から与えられた愛の背景には、どれだけの苦しみや困難などがあったかを知れると、「有難う」という気持ちが出てきます。
心の深い部分を探ってみてください。
たった一つであっても、
温かい親の愛を感じられるものがあるはずです。
深い悲しみも苦しみも、自分の成長に繋げ、自分が成長することを自分で喜べるようになれば、精神的に自立した証拠です。
恨みが消えた理由
この記事では、著者が親への恨みを消すことができた理由をいくつかの重要な視点から説明しています。それを以下のポイントに整理して考えると、なぜ恨みが消えたのかが明らかになります。
1. 新たな視点を得たこと
- 過去を別の見方で捉える
著者は「過去は最悪だった」という見方から、「過去は自分たちなりに最善を生きた」という見方へと転換しました。この視点の変化により、親の行動や努力が違った意味で理解できるようになり、恨みが薄れていきました。 - 諸行無常の理解
「すべては変化する」という仏教の教えを受け入れたことで、親も自分も変わり続けていることを認識し、過去に対する固定的な見方から解放されました。
2. 親の愛情に気づいたこと
- 3歳までに受けた愛情の重要性
「3歳までで十分」という視点を持つことで、自分が生き延びてきた背景には、少なくとも親が自分を生かそうとする愛情や努力があったことに気づきました。この事実を理解するだけで、「親に何もしてもらえなかった」という感情を和らげることができたのです。 - 親の愛情の背景にあった苦労を知る
親がどれだけの困難や苦しみを抱えながらも子どもに愛情を注いだかを想像することで、感謝の念が生まれ、恨みが感謝に変わりました。
3. 親との関係修復と「ありがとう」の気持ち
- 最後の関係修復
母親が亡くなる前に「ありがとう」を伝えられたことが、著者自身の心の重荷を下ろすきっかけとなりました。終わりが良ければ全体を「これで良かった」と思える、という心の整理ができたのです。 - 「有難う」の深い意味の理解
「有難い」という言葉を深く理解することで、親への感謝が生まれ、恨みの感情が浄化されました。
4. 自己成長と親の変化に気づいたこと
- 自己成長による視野の広がり
著者自身が成長し、親の変化を認識できるようになったことで、「親は親なりに変わり続けていた」という事実に気づきました。成長する前の自分には見えなかったものが見えるようになり、恨みが薄れていったのです。 - 親の努力や謝罪の受容
過去の対立時期であっても、親が自分なりに変化し、子どもに申し訳なかったと感じていたことに気づき、それを受け入れたことで、関係が修復されました。
5. 精神的な自立の達成
- 親への依存を手放した
親に何かを求め続けることは未熟さの現れであると理解し、自分で自分を満たすことを選んだ結果、親に対する執着が薄れました。 - 苦しみを成長に繋げた
深い悲しみや苦しみを自分の成長に変えるプロセスを経て、親への恨みを感謝に変える精神的な自立を達成しました。
結論
この記事で親への恨みが消えた理由は、**「新しい視点を得て親の愛情や努力に気づき、感謝の念を持つことができた」**という点に集約されます。過去の見方を変え、自分が成長し、親もまた変化していたことを理解することで、恨みが感謝へと変わり、精神的な平安を得たのです。
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