物に当たるならまだしも、動物や子どもに八つ当たりをして虐める人
自分も加害者であると自覚しよう
まず、しっかり自覚しないといけないことは「自分も加害者である」ということ。動物とか子供は弱い存在です。その弱い存在に八つ当たりをして虐めるということは、害を加えるということですから加害者であることには間違いありません。だからまずは、自分も1人の加害者だったのだと認めることが大切です。人は誰もが全員、被害者でもあり加害者でもあるのです。
ブルーハーツの「TRAIN-TRAIN」という曲に、次の一節があります。
弱い者達が夕暮れさらに弱い者をたたく
ザ・ブルーハーツの曲「TRAIN-TRAIN」
この状態です。動物や子供に八つ当たりをして虐める、その八つ当たりというのは、何か嫌なこと、腹立つこと、不満なことなどがあった際に、直接関係のない人にその怒りやストレスなどをぶつける行為ですから、とても理不尽なものです。そして相手にとって害になることを相手に加えればそれはもう立派な加害者です。
物に当たる人はマシな方
動物や子供、他の人などに八つ当たりをするのではなく、物に当たるということは優しい人です(動物や子供などに当たることと比べるとまし)。抑えきれなくなっても他の人に危害を加えないように、ちゃんと頑張っていますから全然マシな方です。その怒りが抑えきれなくなるほどのことを、明確にして、1つ1つ解決していかないといけません。放置していればまた爆発しそうになるだけです。そうしているうちに抑えきれなくなって、歯止めが効かなくなり、暴力を振るってしまうことになってしまう場合もあります。その物に当たったことも、自分の物ではない場合はちゃんと清算することが必要です。
八つ当たりをやめるために矛先を正そう
動物や子どもはあなたを傷つけません。何もしなければ傷付けません。八つ当たりということは、あなたを傷つけた存在は別です。その存在へ言えないことを正当化する為に自分よりも下の存在に理由づけをして怒るのはやめましょう。下ではなく上に立ち向かっていく勇気を持ちましょう。上に媚びへつらうと下に八つ当たりをすることが増えます。上に対して問題解決をしていかないと下に不満をぶつけやすくなります。
あなたは奴隷ですか?
あなたは奴隷ですか? 違いますよね。奴隷ではないのなら正しく物事を認識して自分を傷つけた張本人に伝えましょう。それが出来ないのなら、出来るように成長しましょう。誰もが出来ないことや難しいことがあります。だけどそれから逃げて、動物や子供に八つ当たりをして害を加えるということは間違っています。矛先を間違えてはいけません。未熟な人間がこの奴隷心理から抜け出すまでは、子どもや動物は被害者になってしまうのです。勇気をもって奴隷から抜け出し、矛先を正して、問題解決を始めましょう。
古代ローマの歴史家ティトゥス・リウィウスは次のように言いました。
卑屈な奴隷か、さもなければ傲慢な主人か、これが民衆の本質である。
ティトゥス・リウィウス(古代ローマの歴史家)
これが民衆の実態です。これで成り立っています。こんなことをしているから、この世界では必ず犠牲がついて回るのです。これを僕は「モラルハラスメント界」と呼んでいます。この者らがやっていることは、スケープゴートを必ず必要とする世界を創り、そこで煩悩まみれになって生きているわけです。これだから当然犠牲が継続して生み出されます。それが嫌になったら、そういう世界と縁のない自分に変わっていけばよいのです。SNSではこういうのが跋扈しており、毎日争いです。裁判、洗脳合戦、集団マインドコントロール、信者の取り合い、誰かが一言発すれば、あれは間違っているだの、おかしいだの、周囲に吹き込んで、悪い嘘の噂(デマ)を流したり、裏工作をして、情報を操作する。個人的にはとても醜い世界だなぁと思っており、近寄らないように気をつけています。SNSをやると病む。やめると回復してきた。それは健全な心を持っている証拠です。逆に、その中で病まない方が麻痺してしまって不健全な心になっているのです。つまり前記した引用にある古代ローマの歴史家ティトゥス・リウィウスの言葉、その中で慣れ過ぎてしまったということですから、飼うか飼われるか。中毒にするかされるか。そうした中で生きることが当たり前になってしまっているのです。
「SNS 中毒になるように設計 – Google 検索」を見るとわかりますが、SNSは中毒になるように設計されていますから、多くの人間が中毒になり依存し、やめられなくなっています。元々依存症者は特にやめられません。だから元々依存症だった人間がひとたび誹謗中傷をし始めると今度は誹謗中傷依存症になってしまい、何年でも誹謗中傷を繰り返すようになり、相手が自殺するまで追い詰めているケースもあります。落ちるところまで落ちてしまったと言えます。
勘違いしないでいただきたいのは僕はSNSを無くせと言っているのではありません。あって良いと思っています。全ては成長材料ですから。自分が嫌なら離れれば良いし、好きならそこにいればいい。自己責任ですから。色々な選択肢があるから勉強も出来るし、成長も出来るのです。またSNSは嫌というほど「モラルハラスメント界」について学べる場所ですので、次の心の成長ステージに移行する為の勉強も出来ますので、1つの役割としてあって良いと思います。
モラルハラスメント界とは、、、
SNSではこういうのが跋扈しており、毎日争いです。裁判、洗脳合戦、集団マインドコントロール、信者の取り合い、誰かが一言発すれば、あれは間違っているだの、おかしいだの、周囲に吹き込んで、悪い嘘の噂(デマ)を流したり、裏工作をして、情報を操作する。個人的にはとても醜い世界だなぁと思っており、近寄らないように気をつけています。
色々な経験をして嫌な目にもあって気づく
人は色々な経験をして嫌な目にもあって気づきます。最初の話に戻りますが、なんの罪も無い存在に八つ当たりをして害を加えたことを認めて、自分も1人の加害者であったのだと知り、心から「申し訳なかった」と思える心を養っていくことが結果として自分の為になります。自分も変わっていこう。そう思えるようになって初めて、「おっ、少しは成長したか?」と思われるくらいになるというわけです。
自分を変えれるって幸せなこと。感謝を増やそう!
八つ当たりをしたり、虐めたり、理不尽なことをしてしまう自分を変えていくことが必要です。ここを変えずして幸せになれる道理はありません。何故なら人生は自分で創っているからです。自分の行為、これが「業」して心に蓄積し、その蓄積がやがて自動化されていくからです。結局は自分でやったことが習慣になり、それがやがて運命さえも決定づけるということです。それを表した名言が下記記事でお伝えしたマザーテレサの名言になります。
これがわかれば、幸せになりたければ自分を変えたほうが得であるとわかり、変えるには勉強が必要だとわかりますから、途上国の子どもたちは、勉強できることに幸せを感じています |NPO法人チャイルド・ファンド・ジャパンのプレスリリースの子供たちのように、勉強できることに幸せを感じられるのではないでしょうか。幸せは既に沢山あります。身近にあります。感謝すべきことも同じく、身近にあります。自分がそれに気づけないだけなのです。見えていないのです。
だからその自分を変えない限り、いつまでも経っても次元の低い世界で低いものだけを見ているというわけです。今この瞬間も、有り難いことがあります。それに感謝して、幸せを感じることも出来ます。
しかし人は煩悩まみれになると、それが全く見えなくなり、貪り過ぎるが為にスケープゴートまで創り出して、争い、喰らい続けます。同じ世界で生きているのに、自分の心の状態で全く違う世界を生きているというわけです。
動物や子どもに八つ当たりをして虐める人は感謝からかけ離れて生きています。そして弱いものを叩いているのです。その状態は脳の前頭前野(人間らしさの司令塔)が弱っているということです。感謝出来るようになると前頭前野も活性化します(感謝と前頭前野には深い関係がある)。前頭前野が鍛えられると対処能力も上がります。結果、八つ当たりする必要もなくなってきます。自分を育てましょう。
感謝を増やそう!下記も一度読んで下さい。
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