「ずっと苦労ばっかりだったので楽したい…」と思う人もいます。
しかし「楽したい」という思い裏に「病気になりたい」というような感情が潜んでいて、そのことに気がついていないからわざわざ不幸の道を辿っている人もいます。
まさか、自分で「病気になりたいなんて望むわけない」と思うかもしれませんが、人は無意識のうちに病気になりたがって、そのことを忘れている場合があります。そのことは「疾病利得(しっぺいりとく)」の記事も読んでみて下さい。疾病利得というのは無意識のうちに病気を作り出してしまうものです。それにより何らかの利益を得たり得をするものです。
このような「楽したい」という裏に「病気になりたい」というような感情が潜んでいる人の「楽したい」という思いの中に詰まっているものが以下の場合があります。
・働かないでお金欲しい
・ゲームだけしたい
・運動面倒
・贅沢したい
これを続ければ病気になりやすいということが分かると思います。 だけど、これらをまとめで一括で見る能力が無いので、自分が「病気になりたい」と無意識で望んでいるわけがないと本人は思うのです。
つまり、、、
「働かないでお金欲しい」「ゲームだけしたい」「運動面倒」「贅沢したい」は「怠けたい!!!」ってことですよね。その怠けたい気持ちをストレートに出さず「楽したい」という言葉に置き換えてカモフラージュしているのです。
「楽をする」というのは本来、「積極的で笑顔で楽しく生き生きと活動的になること」が「楽をする」ってことです。だけど「楽をする」=「怠けたい」をいっしょくたにしてしまって勘違いしているのです。
らく【楽】 の意味
1 心身に苦痛などがなく、快く安らかなこと。
わかりますよね?心身に苦痛が無い状態になるには、健康でいることが必要です。健康の基本は食生活と運動です。だから先ほど書いた「楽をする」というのは本来、積極的で笑顔で楽しく生き生きと活動的になることなんです。
つまり、、、「楽したい」という言葉でカモフラージュしながら、上記した「健康の基本である食生活と運動」からかけ離れようとしていますよね。だから「楽したい」という言葉でカモフラージュして「病気になりたい」と言っているようなものなんです。
現実的な見方をすれば、「あぁ、あの人は病気になりたがっているな。数年したら病気になっているかもな」とみて、実際に数年後「やっぱり病気になったか」とシンプルな問題だとわかります。
だけど、本人はそこが繋がらないから「病気になりたいなんて望んでない!」と思ってしまうんです。1つの思考として「病気になりたい」とは思っていない。だけど、自分の行いを複合的にみると「病気になるための生活」をしていたことが見えてくる場合もあります。
つまり、無意識のうちに望んでしまっていたのです。
自分の無意識に気付く為には、点と点を繋いだ見方、客観視、などが大事になります。 自分にとらわれている人には自分の無意識の本性は知ることは出来ません。 このことに気が付けば、不幸になってしまう原因をたくさん消すことが出来るので、 気づいていない人に比べて何倍も何十倍もプラスになりやすいのです。
そして、何故このように自分にとらわれて、自分の無意識を知ることが出来ないのかと言うと 実は「親への依存がないと思い込んでいるだけで依存している」からだったりします。親への依存があるということは自分を生きていないということです。自分を生きていなければ自分の無意識の言動がまったくわからなかったりします。
「社長だから依存はない!」という人がいたとしますが、 社長だからというのは理由になりません。 社長であっても依存している場合はあります。その自分で気づいていない親への依存に気づくことができると自分の無意識の本当の自分に気づいてきます。
今、「人間関係」や「お金の面」で困っている人は、 親への恨みや、親への依存が隠されています。母親に依存していると人間関係がマイナスになりやすくなります。父親への依存があるとお金の面でマイナスになりやすくなります。
親への恨みや依存が無いと思い込んでいるだけで、 無意識に押し込めてしまったのです。 押し込めた親への恨みや依存は、必ずにじみ出てきて、子供や弱い人間に、無意識で影響をだしてしまうこともあります。
大事なことは「人間は誰でも親への恨みや依存がある」と言うことを理解すること。そして、無意識に押し込めたものを解放することが大事です。自分で自分を育てていくということもであります。
そして親の苦しみ、親がくれた暗示、これらに深い理解をした上で許すと人生がプラスに変化します。 よく言われますよね。父親を許すと仕事が成功しやすくなったりお金の回りが良くなり、母親を許すと人間関係がプラスに変わります。
対人恐怖症の人は親への依存や恨みに気づいて、愛をくれなかった親を許すことが大事です。 許すと言うことは許可です。 許可してあげましょう。許可するには管理者である必要があります。管理者になるには責任が必要です。そして責任は自由への道です。
つまり、心の管理者になって精神的な自立を果たしたとき、心の自由が手に入ってくるのです。親と言う存在は、その道を進むための自転車の補助輪のようなものです。だから補助輪は2つあるのです。父親と母親です。
上から来た不条理を、無関係な子供やペット、弱い者に八つ当たりをするような自分を変えていくことが大事なことです。そうするとお金の面、人間関係、徐々に変わっていきます。
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