本当の自分を生きる人ほど孤独になっていきます。僕も、孤独になりたくて孤独へと向かっています。幼稚園児や子供は群れて楽しく、みんなで仲良く元気よく!で良いのですが、大人になるにつれて孤独を怖がるのはある意味心の病です。人は一人で生まれてきて一人で死んでいきます。孤独を恐れるということは自分を恐れているということ。嘘ばかりついて生きてきた者は孤独を恐れるのです。
孤独を楽しめる者は本当の自分を生きている者。
孤独に毒されている者は本当の自分を虐待した毒ある者。
孤独を恐れる心の病
孤独を恐れているのはある意味病気です。そんな孤独を恐れる病気になった支配者は孤独を悪いことだと解釈していて「孤独な奴はダサい」とか「お前にお似合いなのは孤独だ」と嫌なことを人に言ったり。孤独を恐れている者には本当の意味で精神的自立はありません。群れていないと落ち着きませんし、群れの中で王様(実は支配者)を気取っていないと落ち着かなくなるのです。
そして自分は孤独ではないと一時の安心をしながら、孤独な人に対してマイナスの解釈しかできないようになり、自身の汚れた心で孤独に対してマイナスイメージで見続けて「お前は闇の中に堕ちていけwwぐへへww」という感じで人を馬鹿にして喜んでいるのです。
そんな孤独を恐れる心の病は、「本当の自分を見失っている」から起こるのです。「孤独」に対してマイナスイメージがあることが「本当の自分大切に出来ていない(心理的に虐待している)証拠」なのです。なぜなら、本当の自分を大切にしていれば孤独の良さがわかるからです。
孤独力が低い人は「他人のせいにする」。高い人は「自己責任」
孤独力が低い人は「逃げる」。高い人は「つらさと向き合う」
上記の引用では「孤独力」と書かれています。こちらを読んだとき、「なるほどな~」と思いました。
人は一人で生まれてきて一人で死んでいきます。孤独を恐れるということは、それだけ自分を傷つけているから自分と向き合うのが怖いのです。だから群れて、自分と向き合わないようにして、自分から逃げているのです。どんなに逃げても死ぬときは一人です。孤独を恐れている人は死をも恐れます。孤独を恐れない人は死を恐れなくなります。
孤独の良さ
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孤独の良さを知るために、上記の記事も併せて読んでいただけると良いです。
精神衛生上、害悪になることもあるSNS。SNSでの害や悪影響を知るということは、自分をよく知ることと同じです。自分を知ることは自分を大切にするということでもあります。孤独になるということは、自分を害から離れさせる精神的自立的な面もあるのです。
孤独の良さに関して、いくつか引用してご紹介します。
孤独力の高い人は、他人に影響されず、すべて自分自身の判断で行動します。また、自分の身の回りで起こることをある程度予想できるので、トラブルの際にも落ち着いて対処できます。
孤独になろうとしている人は、責任を持って生きようとし始めている人です。つまり、精神的自立、自由へと向かっていく人です。
我々はみな真理のために闘っている。だから孤独なのだ。寂しいのだ。しかし、だから強くなれるのだ。
真理のために生きる人は孤独になるのです。孤独にならずして真理などありえないということです。僕が伝えてきた言葉に置き換えれば「孤独にならずして本当の自分を生きることは出来ない」ということです。心の中の小さな自分と一対一で向き合わずして本当の自分を生きることなど到底無理な話なのです。だから僕は「サヨナラ・モンスター」を公開したのです。自分が自分に向き合うための教材です。
貴方が笑えば、世界は貴方と共に笑う。貴方が泣くとき、貴方は一人で泣く。
こちらの言葉を見て思うことは、自分の悲しみは自分1人で感じきってあげることが大切だということ。これも「サヨナラ・モンスター」でお伝えしていることです。自分の感情を自分が自分の親として、1人で感じきってあげるのです。それが孤独を恐れず、本当の意味で自分と繋がることなのです。
自分の孤独の時間を自分できっちりできないような人には、他人を愛する資格はないと思う。一人で生きていくことができて初めて、人を抑圧することなく愛せるんだと考えている。
人は、支配者をやめるためには必ず孤独にならないといけません。孤独になったことも無いのに支配をやめた…というのは無理なことなのです。
孤独なとき、人間はまことの自分自身を感じる。
「孤独」と真剣に向き合った時、はじめて、心の奥の本当の自分と向き合える時なのです。その為には、まず心の中の小さな自分と向き合って、救い出すことが必要です。心の中の小さな自分の親となり、心の中の小さな自分を育てるのです。育ってくれば心の中の小さな自分と親子関係ではなく、対等な一対一の関係になります。それが「本当の自分」です。
男が志をもって何か突出したものを得ようとしたら、孤独なんだよ。誰も助けてくれないし、壁にぶち当たったときの孤独感といったら、壮絶なものですよ。でも、それが男だし、僕は孤独に死ぬのはいとわない。
本当の自分を生きている人、男の言葉です。本当の自分を生きるということは必ず孤独になるのです。
人生とは孤独であることだ。誰も他の人を知らない。みんなひとりぼっちだ。自分ひとりで歩かねばならない。
ヘルマン・ヘッセ(ドイツ生まれのスイスの作家。主に詩と小説によって知られる20世紀前半のドイツ文学を代表する文学者)の言葉
孤独を受け入れて、孤独を実践する。それが人生の再スタートですね。
孤独だということは人と違う人間だということ。人と違っているということは孤独になるということ。
スーザン・ゴードン(米国の女性作家、編集者)の言葉
逆に、孤独にならないということは「他人軸」であり、「他人の人生」に便乗しているのです。本当の自分は生きれていないのです。
孤独を友とした仕事と向き合った時間は、決して自分を裏切らない。
猪瀬直樹(日本の作家、政治家)の言葉
それは、本当の自分の仕事だから、本当の自分の人生を、本当の自分と共に歩いているから、決して裏切ることはない。永遠の自己信頼です。
多数に追随すれば必ず自分を見失う。孤独を恐れず、したいことを続けるしかない。
孤独を恐れるということは、他人に洗脳を許すということです。
孤独な木は、仮に育つとすれば丈夫に育つ。
孤独は、本当の自分、強い自己信頼の道なのです。
最上の思考は孤独のうちになされ、最低の思考は混乱のうちになされる。
「孤独」は本当の自分と向き合っている時間です。だから最上の思考が生まれるのです。「混乱」は群れの世界。ネット上で言えばSNSです。混乱も多く、洗脳合戦、相手の心をへし折って以下に自分たちが正しいかを競い合って力に従順する世界アデス。そんな世界では最低の思考が生まれるのです。
人はだれでも孤独である。自己の運命を思う時孤独である。苦悩に出会う時、病む時、死を思う時、すべて孤独である。
住岡夜晃(日本の教育者、仏教家)の言葉
苦悩、病む時、死を思う時、それらで感じる孤独こそが、本当の自分を取り戻せるチャンスなのです。それほど人は「自分への心理的な虐待者」なのです。無自覚で最高の虐待者。それが人間です。引用にあるよう、孤独の大切さを知っている人は、自分への心理的な虐待をやめることが出来る人なのです。先を行く人。
昔は群れの中の1匹の羊であるより、孤独なオオカミでありたいとひそかに思った男たちが、あちこちやたらにいたような気がする。
孤独なオオカミ。まさに、本当の自分を生き始めたものですね。
群衆の中にあっても孤独を守る人こそ、至高の人である。
孤独を守るというのは、本当に難しいこと。それが出来た人は至高の人というのは納得です。
如何でしたか。孤独に良い面もたくさんあることを知れたのではないでしょうか。
最後に僕が思うこと。
人生とは孤独であるということ、だから温かいのです。
SNSの群れて洗脳合戦を行う子供の遊びに飽きた人は、孤独(本当の自分)に向き合ってみては如何でしょうか。
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