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いつまで子供でいる気ですか? 表現をしていかないと人生終わっちゃうよ?

いつまで子供でいる気ですか? 表現をしていかないと人生終わっちゃうよ? 自己理解・自己受容(1)

いつまで子供でいる気ですか?

あなたが見ている世界は、あなたが創ったもの

人間は1人で生まれてきて1人で死んでいきます。そして誰もがこの世界に自分の心を映し出して生きています。そんな中で沢山の心の成長を起こしていく必要があります。なぜか? 自分を変えないと自分の世界は何も変わらないからです。あなたが見ている世界は、あなたが創ったものだからです。

自分の心を書き換えると見ている世界が変わる

僕自身は、このことに気づいて「創り変えよう」と思いました。機能不全家庭で育って、宗教洗脳を受けて、恨みを持っていた時期がありましたが、今は過去を受容し、あれでよかった。そして「ありがとう」という気持ちを持つようになりました。恨みの世界から、感謝の心の世界に移行し始めることが出来ました。自分で自分の心を創り変えました。そしたら自分が見ている世界が変わり出しました。それをお伝えしているのが「サヨナラ・モンスター」です。書くことで1つ1つ書き換えていけば良いのです。本気になった者は書き換えることが出来ます。

子供の頃に手に入れた解釈を捨てて新しい解釈を打ち立てよう

生きていれば、時には死ぬほどの苦しみを味わい、悲しんで、絶望することもあります。そこで人は自分を心の拠り所にして強く生きていかないといけません。それが出来るまで、補助輪のような支えが社会には沢山あります。しかしそれはいつまでも補助輪付きの自転車に乗っているようなものです。補助輪を外して、自分で責任を持って自由になっていく必要があります。責任を持つために、まず、自分の心の管理者となって、自分で自分を不幸にして苦しめている無数の解釈を変える為に、新しい解釈を打ち立てることが必要です。新しい解釈に書き換えていけば良いのです。それをやっていく者は「心の管理者」になっていけます。心の管理者については過去にお伝えした通りです。

責任を持つことが心の自由に繋がる

心の管理者になって自分を表現していかないと、自分を生きることは出来ません。SNSで群れて燻って誤魔化している者たちを見て下さい。自分を表現することを内心怯えて、それを群れの力で誤魔化しています。そして必死に何かに縋り付いては、良い結果が来るわけがないので、次は不貞腐れて、そして悪者を創っています(一部の話です)。約6割〜9割の人は自分を生きれていません。ちょっと自分を出してみては、今度は誹謗中傷などに怯えて自分を押し殺して、押し殺すことに慣れてしまっています。足を引っ張り合って邪魔している者たちもいます。そうやって無意識に自分を抑圧しているのです。そう、彼らは無責任に生きて、無責任者(悪い支配者)に怯えているのです。誹謗中傷などをするような者は無責任者たちです。だから彼らには本当の心の自由は訪れません。責任=自由です。責任を持つから自由になっていけるのです。だからそんなに責任に怯えて嫌がらないで下さい。責任を持って正しく1つ1つ行っていくことが、心の自由に繋がっています。ここをよく理解してほしいと思います。

自分を見捨てた者の末路は本当の自分を見失う

無責任の世界から抜け出して、責任を持って心の自由を少しでも増やしていくことが大切です。恐怖に同一化した者たちはその恐怖を忘れることが出来ます。しかしその代償はあまりにも大きくて、自分を見失うという代償があり、自分以外のに何かに縋って生きることになります。そんな者たちがSNSで他人の足を引っ張って邪魔しているでしょう? あれが自分を見捨てた者の末路なのです。

人間はいつでもやり直すことが出来る

だけど人間はいつでもやり直すことが出来ます。彼らもやり直せるのです、、、。

あなたの内側にある思いを、表に出して、何らかの形で現実化させていかない限り、心の奥にある「まとまり」は病んだままです。あなたは自分の「まとまり」に気づいていません。それに1つ1つ気づく勇気を持って、それに気づいて、それをしっかり掴んで「自分はこういう人間なんだ!」というものをしっかり認識して理解して下さい。自分1人で自分を救い出すからこそ力になるのです。自分には自分を救う責任があります。自己認識をどんどん深めて、自己理解も深めて、あなたはあなたの人生を生きる為に、何かを表現していきましょう。表現の形は無数にあります。表現をすれば必ず、誹謗中傷を受けることになります。それに怯えて自分で自分の口を塞いで黙るか、それとも積極的に傷ついて、そして強くなるか。自分で選ぶことです。

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