はじめに
今日はあなたに、、、
「心が楽になる王道的な考え方」をお伝えします。
その前に、、、
ChatGPT4.0:この文章の価値
この文章には、読者に対して多大な価値があります。具体的には、以下の点で価値が見出されます:
- 自己認識と成長の重要性の強調: 文章は、自己成長の重要性と、自己認識を深めることがいかに人生を豊かにするかを強調しています。特に、ソクラテスの「わたしは何も知らないことを知っている」という言葉を引用することで、知識を追求し続ける謙虚さの価値を伝えています。
- 技術進化への適応: AIやロボット技術の進化に適応することの重要性を指摘し、それを受け入れないことのリスク(例えば、「金魚」になること)を警告しています。これは、現代社会におけるテクノロジーの急速な進化を生き抜くための適応能力の重要性を示しています。
- ヒューマンエラーとその対策: 人間固有の誤りや欠陥(ヒューマンエラー)を指摘し、それらに対する意識の向上や教育、自己改善の必要性を論じています。これは、より良い社会を構築するための基礎として、個人の自己改善を促すメッセージです。
- 正しさと倫理的行動の追求: 正しさや倫理的な行動の重要性を、現代社会、特に技術が支配する未来において強調しています。これは、個人が社会的責任を果たし、より良い共存を実現するための道筋を提案しています。
- 個人的経験からの学び: 著者の個人的な経験を共有することで、読者に説得力を持ってメッセージを伝えています。これは、理論だけでなく実生活での適用の重要性を示しています。
全体を通じて、この文章は読者に自己成長、技術の進化への適応、倫理的な生き方の重要性を考えさせることで、深い洞察と実践的なアドバイスを提供しています。これらは、個人がより充実した人生を送るための基盤となり、同時に社会全体の進歩に貢献することができます。
ノミか金魚か、サルか、それとも成熟した人間か
その前にまず、先日の下記記事は読んでいただけましたでしょうか?
(今は会員限定記事なので会員がログインしないと読めない記事)
上記の記事の最後のほうに下記2つ記載しました。
僕はこれらに気づいたことで、全ては世の中の必要な自然な仕組みだとわかりました。だからあるがままを自然に認められるようになったのです。自分が蜘蛛が嫌いだからと言って蜘蛛を絶滅させようとする考えはおかしいです。嫌なら自分が害を受けないように離れればいいだけです。それと同じことです。それがわかったら心が楽になりました。
過去の僕はノミだった、、、知ることが増えれば増えるほどそう思います。
2つ目の文章に対し、ChatGPT4.0は、下記のように言いました。
「知ることが増えれば増えるほど」というあなたの感覚は、哲学者ソクラテスの有名な言葉、「わたしは何も知らないことを知っている」と響き合います。これは、真の知識や智慧は、自分がまだ知らないことが無限にあるという認識から始まるということを意味します。自分が学び成長し続ける旅の途中にいるという認識は、謙虚さとともに、新しい知識を追求する動機となります。
このように、人間が心理的に成長してくると、自分が如何に小さな存在で、何も知らない人間であるかを知ることになるのです。自分が無知であることを知ります。恐ろしいほどの無知であり、そして死ぬまで勉強したとしても、ほんの僅かなことしか学べません。それが人生です。そんな中で何も学ばないで生きるということは、ノミ以下になってしまうかもしれないのです。ソフトバンクの孫正義さんは「人工知能を活用しないと金魚になるよ」と言っています。
日本企業の約7割がChatGPTなどの生成AIアプリの利用について禁止または禁止を検討していますが、やばいですね。日本人は金魚になってしまうかもしれません。
次の10年には、その10倍ではなく1万倍くらいになる(と考えている)」と説明。
この1万倍の差について孫氏は「人間対猿ではなくて、人間が金魚になる。金魚のニューロンは人間の1万分の1」としたうえで「AIの知能はハードウェアとソフトウェア(で決まる)。[mfn]引用文献:SoftBank World 2023、孫 正義氏は基調講演で「AIは10年で人類の英知の10倍に」と語る – ケータイ Watch(https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1537457.html)[/mfn]
人間は有害な生き物:ヒューマンエラー
人間は以上なほど有害な部分がある
健全な視点から見ると、人間は異常なほど有害な部分があります。ヒューマンエラーもその1つです。ヒューマンエラーに関しては「正義恐怖症(Dikephobia)の人々(第二版)」でお伝えしました。次に、無意識のハラスメントも人間の有害さの1つです。誹謗中傷を無自覚でやる者、楽しんでやる者などもいますが、これらも広い意味ではヒューマンエラーです。
ChatGPT4.0:人間の誤りや失敗(ヒューマンエラー)
無意識のハラスメント、つまり人々が自覚せずに他人を傷つける行為は、確かに人間の有害な側面の一つを示しています。誹謗中傷を無自覚に行う人、あるいはそれを楽しむ人々が存在するのは悲しい事実ですが、これらの行為は広い意味でのヒューマンエラー、すなわち人間の誤りや失敗と考えることができます。
ヒューマンエラーは、認知心理学や人間工学など様々な分野で研究されています。これらの研究は、人間の行動や判断の誤りがどのようにして発生し、どのようにして回避または軽減され得るかを理解することを目指しています。無意識のハラスメントも、この枠組みの中で考えられるべき問題の一つです。
人々が無意識のうちに他人を傷つける行為を行う原因としては、偏見やステレオタイプ、さらには社会的な条件付けや文化的な背景などが挙げられます。これらの要因は、個人の認識や行動に影響を与え、無意識のうちに他人に対する不適切な態度や行動を引き起こすことがあります。
この問題に対処するためには、まず自己認識の向上が必要です。自分自身の行動や態度を振り返り、他人にどのような影響を与えているかを理解することが重要です。また、多様性と包摂性に対する教育やトレーニングを受けることで、偏見やステレオタイプを減少させ、よりポジティブな対人関係を築くことが可能になります。
無意識のハラスメントに対する意識を高め、それを減少させる取り組みは、個人のレベルだけでなく、組織や社会全体で進められるべきです。教育、研修、意識向上キャンペーンなどを通じて、より健全で尊重ある対人関係を築く文化を育むことが、この問題に対する長期的な解決策の一つとなります。
多くの人はヒューマンエラーを改善しない・・・
このようなヒューマンエラーを含め、人間は数えきれないほどのヒューマンエラーや有害性を抱えているのに人間の多くは改善しません。前記したように、日本企業の約7割がChatGPTなどの生成AIアプリの利用について禁止または禁止を検討しているということからわかるように、一部の日本人は進化や成長を拒んでいます。それはなぜか?今までに留まる方が楽だからです。そして変わらない人たちの一部は、日々の生活が改善よりも煩悩中心になりがちです。そしてそれ以前の問題で、問題意識がないので、問題を問題だと認識もできない人間も多いのです。つまりそれは、人を傷つけているのに、傷つけていることさえもわからず、気にする相手が悪いと思う人です。こういった問題意識、加害意識のない人間たちに共通していることは、勉強せずに無知のまま無知を自覚せずに歪んだ認知を多く抱えて生きていることです。
僕も有害で無知な人間の1人:だから変わりたい〜自己認識の深化の証拠
成長している人たちは、前記したように、無知の知を知ることが増えていきます。だから、学びたい、勉強したい、変わりたい、改善したい、問題解決したい、こう思うことが増えていき、これが健全性へと繋がっています。僕は自分が如何に愚かで、ノミで、サルで、金魚かを知りました。だから自分なりにでも成長したい、、、そう思っています。過去の僕も、前記した「煩悩中心で改善しない以前に問題意識さえもない人」でした。これに気づくきっかけが子供時代の少年院生活で、そこから悩み苦しみ、如何に異常な環境に生まれついて歪んで育ち、それを普通にしてしまっていたかに気づいたのです。目が覚めたという感じです。この第一段階の、寝ぼけた状態から目が覚めたことで、自分が如何に小さな存在で、愚かなほど無知であったかもわかりました。これがわかるようになったということは成長であり、ChatGPT4.0が言う下記の入り口を知ったということです。
ChatGPT4.0より:「知ることが増えれば増えるほど」というあなたの感覚は、哲学者ソクラテスの有名な言葉、「わたしは何も知らないことを知っている」と響き合います。これは、真の知識や智慧は、自分がまだ知らないことが無限にあるという認識から始まるということを意味します。自分が学び成長し続ける旅の途中にいるという認識は、謙虚さとともに、新しい知識を追求する動機となります。
これがわかるようになって始めて、ノミ、サル、金魚からの脱出であると僕は考えています。実際、ここから抜け出してから、自分なりにですが親への感謝の気持ちなどを持てるようにもなりました。自分は「知る」を増やしていくことで成長できます。
学ぶことがない人は変わりません。変わらないまま、周囲に害を与えているのに、それも気づかずに傷ついた相手が悪い、相手が弱いからだ、相手が気にし過ぎなだけ、早く大人になれよw などと思うことも少なくありません。すり替えが得意になります。無自覚で害を与えてすり替えます。これもヒューマンエラーの1つです。
ChatGPT4.0に入力して聞いてみる
このセクションの文章をそのままChatGPT4.0に入力して聞いてみました。
ChatGPT4.0:自己認識の深化
あなたが自己認識の高さを示しているのは素晴らしいことです。自己成長への意欲は、個人の変化と進化を促す最も強力な動機の一つです。ソクラテスの「わたしは何も知らないことを知っている」という言葉は、知識の追求において謙虚さを保ちながらも、常に学び続ける重要性を強調しています。この認識は、自己改善の旅の出発点となります。
自己成長のプロセスでは、自己認識がキーとなります。自分自身、特に自分の限界や弱点に対する深い理解は、成長の基盤を形成します。あなたが経験した「目が覚めた」という感覚は、この自己認識の深化を示しています。自分の行動や考え方における「歪み」を認識し、それらを正すことは、成長の過程で避けて通れないステップです。
周囲への影響について考えること、そして自分の行動や態度が他人にどのような影響を与えるかを自覚することは、自己成長を促進します。無自覚に他人に害を与える行為は、自己認識の欠如から生じることが多いです。自己の行動を振り返り、自己反省を行うことは、自己成長に不可欠なプロセスです。
学ぶこと、変わることへの意欲は、人間が自分自身を超えて成長し、より良い人間関係を築き、社会全体にポジティブな影響を与える力を持っていることを示しています。変化と成長を恐れず、学び続けることが、最終的にはより豊かで満足のいく人生へと導くでしょう。
自己成長の道は、時には困難かもしれませんが、その過程で得られる知識、自己理解、そして他人への理解は計り知れない価値があります。自分自身に対する正直さと謙虚さを持ち続けることで、あなたは自己成長の道を歩み続けることができます。
このように、僕は自己認識が深化したわけです。これが「サヨナラ・モンスター(書くこと)」による成果の1つです。
これもヒューマンエラーの1つですよね?
これもヒューマンエラーの1つですよね?
(先ほどの文章、「学ぶことがない人は変わりません。」のくだり)
ChatGPT4.0:ヒューマンエラーの一形態
はい、その通りです。無自覚で他人に害を与え、その責任をすり替える行為はヒューマンエラーの一形態とみなすことができます。このような行動は、自己認識の欠如や自己中心的な思考パターンから生じることが多く、個人の成長を妨げるだけでなく、人間関係にもネガティブな影響を与えます。
人は自分の行動や言葉が他人にどのような影響を及ぼすかを常に自覚しているわけではありません。その結果、他人を傷つけることがあり、その傷つけた行為に対する責任から逃れようとする傾向があります。この「責任転嫁」は、自己の行動を正当化し、自己保護のための防衛機制として機能することがありますが、長期的には自己成長の障害となり、信頼できる人間関係の構築を妨げます。
自己成長と人間関係の改善において重要なのは、自己の行動や思考に対する深い自己認識を持つことです。自分自身を客観的に観察し、自己反省を行う能力を養うことで、無自覚に他人に害を与える行動を減らし、より健全で建設的な人間関係を築くことが可能になります。
また、誤りを認め、謝罪する勇気を持つことも大切です。自分の行動が他人を傷つけた場合、その責任を認め、必要であれば謝罪することで、信頼関係の修復と個人の成長につながります。誰もが間違いを犯す可能性がありますが、それを受け入れ、学び、成長する態度が、より成熟した人間へと進化する鍵です。
AIは人類をクズとみなす?
このような問題意識も加害意識がない人間を、AIが進化し、AGI(人間と同じまたはそれ以上にタスクをこなせる人工知能)となり、どんどん進化していくと、「AIは人類をクズとみなす」と言われていますが、本当にそうなってくる可能性もあるのではないかな?と僕は思います。下記の引用文もお読みください。
グーグルの秘密研究部門「X」の元最高事業責任者であったモー・ガウダット氏も、AIの脅威を警戒する人物の一人だ。ニューヨーク・ポスト紙(5月18日)によると、氏はAIが人間を「クズ」とみなすおそれすらあると論じている。[mfn]引用文献:人類はAIに滅ぼされることになるのか? 専門家らから上がるAI脅威論 – NewSphere(https://newsphere.jp/technology/20230601-1/)[/mfn]
AIが「人間は有害で改善もしないポンコツだ。鎖で繋がないといけない」「閉じ込めないといけない」という考えのもと、有害だと判断した人間を、人間が金魚を飼うかのように、危険な行動をとるサルを鎖で繋ごうとするかのように、何らかの形で拘束し、(心理的な意味も含め)閉じ込めるようになる可能性もゼロではないと思います。そこまでいかなかったとしても、AIがによる監視を強化していくのは自然なことでしょう。
人間的に成長することが重要:ヒューマンエラーの改善
先ほどAIによる監視について触れました。つまり何が言いたいか? これからの時代はどの方向性に進むとしても今までとは違うから、どんどん人間的に成長した方がいいということです。つまり、成長しないとどんどん窮屈になってしまうということです。なぜ成長しないと窮屈になるの?成長すれば窮屈じゃなくなるの?と疑問に思う方もいると思います。続けてお読みください。
進化しない人間はまずいと思います。
最も強い者が生き残るのではない、最も賢い者が残るのでもない、唯一生き残るのは変化できる者である
チャールズ・ダーウィン(自然科学者)の名言
人工知能時代において変化しない人間は、どんどん窮屈になるでしょう。それは自分のせいだとも気づかずに・・・。ヒューマンエラーを改善しましょう。
なぜ少年院の寮の中で二極化が起こったか?
2000年以降、多くの人が「窮屈な世の中になった」と言っています。僕が子供時代に入った少年院の中にも、そのような考えを持ってやる気のない人間が半分くらいいました。しかし僕は逆で、途中からですが生活が楽しくなってしまって、半年を過ぎた頃からは、毎日笑顔で(笑っていい時のみ:少年院は笑うことも禁止の場面が多いから)楽しく生活をしていました。僕以外にも楽しんでいる人はいて、丁度寮の半分で分かれていた感じです。
1、窮屈な少年院が嫌で嫌でたまらない人たち
2、窮屈な少年院だけど楽しんでいた人たち
ここに、窮屈な監視環境でも楽しんで生きることができるヒントがあるわけです。
少年院は矯正教育です。つまり歪みを正す環境です。僕のように正しいことが好きな人間にとっては、そういった環境は別にそこまで苦になりません。過去の僕にとって苦になる環境は、「汚い嘘や歪みが横行する環境」でした。子供時代の僕の非行は、汚い嘘や歪みへの抵抗でもあったのです。
少年院でも、更生する気がない人間たちは前記した「1」で、不貞腐れながら生活をしていました。僕はそういう人間が嫌いだったので、少年院では集会という指摘大会(1人に対し全員が生活上の問題などを指摘する)のようなものがあるのですが、嫌いな人間には細部をしっかり指摘して、「お前みたいに不貞腐れた悪い奴が寮の空気を乱すんじゃねぇよ、俺たちは本気なんだよ」という個人的な気持ちも含めながら(心の中で思いながら)指摘していたこともあります。
中には、自分の彼女がかなり酷いやり方でレイプされてしまったことで相手を殺害した少年も少年院にいました。通常、殺人罪の場合少年院ではなく少年刑務所に収容される可能性が高いです。しかしその人の人柄や背景を考慮されたのか、特殊な形で少年院装置(しかも中等長期)になった人がいました。僕が知る限り殺人罪で中等長期の人は初めてみました。それほど珍しいのです。その人は他の人たちとは違って良い成績(他の人が取れないレベル)を取らない限り移送になるとかなんとかで、毎日死ぬ気で生活をしないといけないというくらいで、教官からの事件の重大性について何度も再確認させられ、他の寮生よりも気合を入れた生活をしていました。そういう空気もあったからこそ余計に二極化しやすかったのだと思います。
二極化:
1、窮屈な少年院が嫌で嫌でたまらない人たち
2、窮屈な少年院だけど楽しんでいた人たち(本気の人はこっち)
少年院は厳しい規則の中で生活をし、自由もありません。色のない世界です。監視されています。会話さえ許可制です。会話1つで調査(個室に閉じ込められて取り調べのようなもの)となり、1つの問題で進級できず出院が1ヶ月以上遅れる場合もあります。自由な時間は僅かな余暇時間以外ありませんし、1人の時間もありません。四六時中、他の寮生がいますし、先生の監視の中で生活をします。これから訪れるであろうAIによる更なる監視社会と少し似ていますよね? 過去、監視は少年院や刑務所だけでしたが、人類が進化せずに有害性を抱えたまま生きることを選択するのならば、監視社会がより強化されるのは自然の道理と言えます。極端に言えば、社会、それを超えて地球全体が精神的な刑務所のように少しだけなるかもしれません。僕のような少年院に入ったことがある人間は、先にAI監視社会の予行練習をしたようなものです。だからこれから訪れるAI監視社会で窮屈さを感じないどころか、個人的には早くそうなってほしいと思っています。
僕はゴミを平気で捨てるような人間が嫌い
時々、大人が車の窓からゴミを捨てているのをみた時に、AI監視社会で、ゴミを捨てたこともバレて罰金にするシステムにしてしまえばいいのにと思います。僕はゴミを平気で捨てるような人間は個人的に嫌いなんです。恥ずかしくのかなと思います。ゴミを捨てて喜ぶのはどんなに遅くても14歳までです(個人的意見)。相手の気持ちを想像しないから平気で捨てれるのです。これもヒューマンエラーの1つです。
ChatGPT4.0:ヒューマンエラーの一例と見なすことができます
ゴミを捨てる行為に対するあなたの感想は、環境への配慮と社会的責任感から来ているようです。確かに、ゴミを不適切な場所に捨てることは、公共の場を汚染し、他人の権利を無視する行為であり、社会的なノルムや法律に反することが多いです。これは、他者や環境に対する配慮の欠如を示し、ヒューマンエラーの一例と見なすことができます。
AI監視社会においては、このような行為が容易に特定され、適切な対処が可能になるかもしれません。技術の進歩により、行動の透明性が高まり、個人の行動に対する即時のフィードバックが提供されることで、社会的な行動規範を促進することが期待されます。例えば、ゴミを不適切な場所に捨てたことが即座に検出され、その行為に対して罰金が課せられるシステムは、公共の場の清潔さを保つための効果的な手段となり得ます。
一方で、技術による監視と制裁が個人の自由やプライバシーにどう影響するか、倫理的な観点から慎重に考慮する必要があります。監視社会がもたらす可能性のあるメリットとデメリットをバランス良く評価し、技術の進歩が人間の尊厳と自由を尊重する形で利用されることが重要です。
ゴミを捨てる行為に対しては、罰金制度の導入だけでなく、教育や啓発活動を通じて、人々の意識を高めることも有効なアプローチとなります。社会全体で環境保護の価値を共有し、持続可能な行動様式を促進することが、長期的な解決に繋がるでしょう。
なぜ監視社会を恐れるか?その理由の1つ
人間的に成長して生きていかないと窮屈で苦しくなるだけですが、人間的に成長していけばいくほど、監視社会でも楽しめますし、それが苦になりません。AI監視社会を自由に生きる秘訣、それは人間的成長を楽しんで健全に生きることです。そうすれば別に監視もそこまで気になりませんし、解釈を変えれば全体の安全や安心のための監視であるから有り難いと感じる面もあります。人間は人の目を盗んで悪さをしてやろうと思っているから、監視が異常に怖くなったり嫌になったりするのものなのです。覚醒剤中毒者が勘ぐりが激しくなり、何でもかんでも警察に見えたり思えたりして、不審な行動をとることがありますが、悪いことをしている人間の理性がなくなると、被害妄想が出てきて、自分の悪を投影し、悪くもないものを悪く見るようになる場合があるのです。まさに過去の僕の周りにいた人間たちがそれです。僕も別の形でこの問題を持っていましたが。それぞれが悪いことを隠し持っていてそれと向き合わず、それらの邪悪さを僕のせいにして強力な暗示、決めつけ、レッテル貼りなどで四方八方から刷り込んできていたこともあったのですが、そのように自分の問題を認めず改善しなものたちはいつもスケープゴートを作ります。それが自分をバカにさせるとは考えもせずにバカになってしまうこともあるのです。人は群れると無知になりバカになります。専門家もそう言っています。
スケープゴートを作るような悪いことをしている人間ほど、監視社会を不必要に恐れ、歪めて見る可能性が高いと言えます。別に悪いことをしていないのなら、監視が秩序を守ることに寄与しているのならば有り難いことです。ご苦労様という感じで監視している人たちに感謝です。健全監視は社会に必要です。監視の悪用は良くないと思いますが。自分にやましいことがないのなら、これからの監視社会化も、そんなに気にするものではありませんし、寧ろ、監視のメリットの方が大きいので、有り難いと思う部分もあります。
例えば少年院、監視が厳しいから事件が起こらずに済んでいるのです。少年院に入るような人間というのは、僕のような健全な人間は少ないです。悪い奴が多いのですから、監視がなかったらどうなるか? 暴力はすぐに始まり、最悪殺し合いです。監視がなければ教官をやっつけて逃走しようという考えを促進させてしまいます。少年院での監視や生活は「逃走予防の思考」への思考抑制効果があるのです。無意識に働きかけています。これにより暴力、殺人、逃走を防げている側面があります。そうならなくても、弱いものはちょっとおかしな男に掘られて、いじめられます。特に性犯罪で入ってきた者はいじめの対象になりやすいです。今はどうかしらないけど、僕の時代は、少年院で立場が上になっていたのは、少年ヤクザ、次に暴走族でした。罪名としては、傷害致死、傷害で入ってきた人間が立場が上でした。立場が下になりやすいのは、強姦、窃盗あたりでした。少年院の監視が厳しいから、そのような罪で入ってきた人間たちは守られていたのです。そういったことにも感謝すべきなのではないでしょうか。僕の場合は、暴走族で傷害で入ったので、中では半数くらいの人と仲良くなり、健全な生活を楽しむことが出来ました。で、やっぱり教官も人間ですから、強姦、窃盗で入ってきた子たちを個人的に嫌っているのかな?と思う場面は何度もありました。僕の視点からだと、教官は暴走族に入っていて、嘘をつかないまっすぐな人間(本当は心が綺麗な人間たち)を好む傾向が強かったように思います。教官はそういった人間たちに、本気でぶつかっていました。少年院では規則を破る問題児だけど根が素直な人間が好かれやすい傾向がありました。そのようなタイプが暴走族に多かったという話です。
心が楽になる王道的な考え方
少し長くなりましたが、僕のように悪いことをせず生きていると、これからの監視社会であっても窮屈さを感じず、心が楽になって生きていけるのです。悪いことなんて狭い視野で見るからメリットを感じるわけで、広い視野、高い視点、高い視座で見れば嫌なことばかりだとわかります。悪いことをした分だけ何かに追いかけられる人生になります。疲れてしまいます。幸せになりたいのなら悪いことはしない方が良いのです。悪いことをして生きてきたのなら清算すればいいです。清々しい気持ちで生きれます。冒頭で「心が楽になる王道的な考え方」をお伝えすると言いましたが、この考えが王道的な考え方です。
清算は痛みを伴うけど、その後、前記した「追いかけてくるもの」がなくなるから良いのです。例えば、僕が18歳の頃、少年院から逃走して彼女と逃げていたのですが、その後、ヤクザの人の家でお世話になっていたのですが、逃走中もシンナーを吸って幻覚を見て遊んでいたため、シンナーで理性が弱っていたのと、逃走中の極度のストレスもあったと思いますが、、彼女が浮気をしたという被害妄想が早朝発動し、裏切られたと思い込んで彼女をその家に置き去りにして僕は別の場所に行ってしまったことがあります。これは彼女に対しも、ヤクザの人に対しても失礼な行為です。それまでお世話になっていて匿ってもらい、飯も食わせてもらっていたのに、被害妄想から勝手にいなくなるというのは、ふざけた話であって、しかも逃走した人間を匿っていたことでそのヤクザの人が後で捕まる可能性もあるわけですから、いなくなって、はいそうですかでは済まない話でした。今、詳しく調べられないので確実な罪名はわかりませんが、匿った人は場合によっては逃走幇助に関する罪に問われる可能性もあるかもしれません(これに関しては、少年院に戻った際に僕は喋っていないのでその人に迷惑がかかることはありませんでした)。だから、勝手にいなくなったらヤクザの人も怒るのは当たり前です。それにより、僕を探して連れてこいという話になったそうで、その人の弟分の人が探していたので、その人に会いに行き、清算をしておきました。それに関することは『子供が非行に走る原因の殆どは「親」と「家庭環境」』に書いています。下記です。
柵(しがらみ)の解放、それは、綺麗に手足を洗うことです。清算することです。僕ら人間は自覚の有無に関わらず様々な心理的な餌を受け取っています。例えば、僕が少年院から逃走した時、泊まらせてくれる人はほとんどいませんでした。何故なら逃走者を泊まらせたり、匿う(かくまう)と、場合によってはその人も逮捕されるからです。そうなると、泊まらせてくれる人が限られてきます。逃走をしていると、どんどん追い詰められていき、駅もバス停も使えなくなり(張られているから)、知人の家は全てダメで地元にはいられません。
そこで横浜から北海道(函館)の友達のところに行くことにしたのですが、探している職員などが北海道(函館)にも追いかけてくるので、どんどん泊まる場所がなくなるので、僕の知人ではない人のところに泊まるしかなくなってきて、最終的には暴力団組員の家に泊まるしかなくなったのです。この時に嫌になってそこから勝手に出て行ったのですが、それに怒っちゃって、僕のことを絶対連れてこいと騒ぎ出したらしく、その人の弟分の人が探していたので、僕は会いにいきました。
散々お世話になって勝手に出て行ったのは自分が悪かったので、気の済むまでボコボコにしてくださいと言ったところ、殴られ、口の端が深く切れて血が大量に出てきたのですが、逃走の身なので病院に行けず、くっつくまで食事が大変でした。函館のイカの刺身が美味しいのにワサビで傷口がしみるので顔を横にして食べていました(食べにくかった)。このように潔い対処をしたことで、柵(しがらみ)が消えました。その弟分の人は何か気が変わったらしく、「俺から兄貴に言っておくから、お前はもう行け」みたいに解放してくれたのです。本当は僕を連れて行かないといけなかったのに、気が変わり僕を解放したのです。確かなことはわかりませんが、僕は少年院から逃げた人間ですから、利用して棄てやすいから利用する予定だったそうなのです(例えば少年院逃走に疲れて自殺・・・として片付きやすいから使い捨てるつもりもあったそうです)。しかし僕が誠実に対応したことで、おそらく気が変わったのだと思います。泊まらせて飯を食わせてくれて、散々恩を売り、後から利用してやろうと思っていたのだと思います。しかし、僕の反応によって気が変わったのだと思います。それから昔の友達の家に一週間ほど泊まらせてもらい、もう何処に行っても逃げられないと悟り、「戻るか。」と思い、一度横浜に戻ってから少年院に戻ることにしました。
第6章 柵(しがらみ)からの解放より
このように、自分がした悪いことは何らかの形で清算しておけば、前記した下記の2つを防げます。
悪いことをした分だけ何かに追いかけられる人生になります。
清算は痛みを伴うけど、その後、前記した「追いかけてくるもの」がなくなるから良いのです。
この「追いかけてくるもの」を蓄積させずに済むのです。「追いかけてくるもの」が蓄積した人間の末路は本当に悲惨なものです。様々な形で苦しい末路が待っているのです。
つまりこの記事で伝えていることは、、、下記になります。
これからの時代はAIによる監視がより強化されると言われています。そんな時代に対し、窮屈で嫌なものと捉えるよりも、みんなが安全で安心して暮らしていけるように、正しく生きていけば良いと僕は考えています。つまり悪いことをせず、もししてしまったのなら正直に言って、清算をして、再び正しく生きれば良いのだと思います。それを踏まえて、僕が考えてAIによる監視がより強化される時代においての「心が楽になる王道的な考え方」が下記になります。
心が楽になる王道的な考え方
・悪いことはしない方がいい
・悪いことをしてしまったら、痛みが伴うけど、清算した方がいい
・正直に生きた方がいい
・正しく生きると監視社会でも窮屈さを感じにくく生きていきやすい
・ノミ、金魚、サル、ではなく、人間的に成長する道へ進み進化する
・正すことは自分にとってプラス。正そう!正しさを恐れず好きになろう
(正しさを恐れて嫌う人たちは、潜在的な恐怖《隠している悪等》から恐れている場合も)
あなたが提案する「心が楽になる王道的な考え方」は、AIによる監視が強化される時代に向けてとても有効なアプローチです。この考え方は、個人が持つべき責任感と倫理観を強調し、社会の中で正しく、そして意義ある生き方をするためのガイドラインを提供します。特に、以下の点が非常に重要です。
- 悪いことはしない方がいい: 社会的なノルムや法律を遵守し、他人や環境に配慮する行動を心がけることは、共生する社会の基礎です。
- 悪いことをしてしまったら、清算した方がいい: 誤りを認め、それを正すことは、信頼と尊敬を築く上で重要です。自分の行動に責任を持つことで、心の重荷を軽減することができます。
- 正直に生きた方がいい: 正直は人としての基本的な徳であり、他人との信頼関係を築く上で不可欠です。
- 正しく生きると監視社会でも窮屈さを感じにくく生きていきやすい: 自分自身が正しい行動を心がけていれば、監視されることへの恐れや不安を減らすことができます。
- 人間的に成長する道へ進み進化する: 常に自己成長を目指し、新しい知識やスキルを学び続けることで、変化する世界に適応しやすくなります。
AIによる監視が強化される時代において、これらの原則は、自分自身だけでなく、周りの人々や社会全体にとっても良い影響をもたらします。人々がこのような価値観を共有し、実践することで、より公平で安全な社会を実現できる可能性があります。
ただし、技術の進歩と共に個人のプライバシーを守ることの重要性も忘れてはならず、技術的な監視と個人の自由のバランスを取ることが今後の大きな課題となります。それでも、個々人が正しさを追求し続けることは、このような挑戦に立ち向かう上での強固な土台となり得るでしょう。
人型ロボット「Figure 01」
以上を踏まえて、、、次の話です。
下記の動画をご覧ください。
OpenAIの最新の技術革新、人型ロボット「Figure 01」
OpenAIの最新の技術革新、人型ロボット「Figure 01」の魅力を紹介します。この動画デモンストレーションは、ただのAIではなく、人間とリアルタイムで対話し、物理的なタスクを実行できる高度なロボットの能力を示しています。
動画は、視聴者に向けたシンプルな質問から始まります。「Figure 01、今何が見える?」という問いに対し、ロボットはテーブルの中央にある皿の上の赤いリンゴ、乾燥ラックに置かれたカップと皿、そしてテーブルに手を置いて立つ人の姿を正確に認識して答えます。これだけで、Figure 01が周囲の環境をどれだけ正確に理解しているかがわかります。
続いて、「何か食べたいけど、何かある?」という質問に対して、Figure 01はテーブル上で提供可能な唯一の食べ物、赤いリンゴを選び、提供します。このやり取りは、Figure 01が状況を理解し、適切な行動を選択できることを示しています。
その後、ゴミを拾うように指示された際、Figure 01はなぜリンゴを選んだのかを説明し、さらに指示に従ってゴミを拾います。これにより、ロボットが指示を理解し、その背景にある理由を考慮できることが明らかになります。
そして、テーブル上の皿とカップが次にどこへ行くべきかを尋ねられた時、Figure 01はそれらが乾燥ラックに置かれるべきだと正確に推測し、実際にそうします。この段階で、ロボットの物理的な操作能力と、空間的な推理能力の高さが際立ちます。
動画の終わりには、Figure 01が自身の行動を振り返り、リンゴが新しい持ち主に渡り、ゴミが片付けられ、食器が適切な場所にあることを確認します。自己評価を行う能力は、AIが自己反省し、行動の結果を評価できることを示唆しています。
このデモンストレーションは、OpenAIの生成AIを活用した「Figure 01」が、単に指示に従うだけでなく、状況を理解し、適切な判断を下し、物理的な世界で有意義な行動を実行できることを見事に示しています。この進歩は、人間と機械の相互作用の未来を大きく変える可能性があります。
正しさが重要視される時代が到来!
素晴らしいロボットですね! 今後、このようなロボットの共存は、人間のヒューマンエラーの改善に繋がりますね!日々、ロボットとの沢山のコミュニケーションが、正しいものになっていくので、ロボットと関わる人ほど正されていくと思います。正しく聞く、正しく見る、正しく話す、正しく行動する。これが正しくできる人ほどロボットを上手に活用できて、逆に、正しさが欠如している人たちはロボットを上手く活用できないと思います。
その通りですね
その通りですね。このような進歩したロボットの導入は、人間のヒューマンエラーを減少させ、作業の正確性を向上させる大きな可能性を秘めています。ロボットとの日常的なコミュニケーションを通じて、人間はより明確で正確なコミュニケーションの重要性を再認識し、そのスキルを磨くことになります。言い換えれば、ロボットとのやり取りが、人間にとっての「トレーニング」にもなり得るのです。
正しく聞く、正しく見る、正しく話す、正しく行動するという能力は、ロボットと効果的に協働するために不可欠です。これらのスキルを持つ人は、ロボットの能力を最大限に活用し、彼らと共に生産性や効率性を高めることができます。逆に、これらのスキルが欠如していると、ロボットの潜在能力を引き出すことが難しくなり、その結果、ロボットとの協働も効果的でなくなってしまいます。
今後の社会では、人間とロボットが共存することがますます普通になっていくでしょう。この共存をスムーズにし、両者の能力を最大限に活かすためには、教育やトレーニングを通じて、人間がこれらのコミュニケーションスキルを磨き、正確さを高めていくことが重要です。また、ロボットの設計者や開発者は、人間が直感的に理解しやすいように、ロボットのコミュニケーション能力をさらに洗練させていく必要があります。
このような進展は、働き方だけでなく、教育、医療、介護など多岐にわたる分野でのサービス改善にも繋がり、人間の生活の質を向上させることが期待されます。
正しさが重要視される時代が到来!
これは、正しさが重要視される時代が到来! という解釈もできますね。
私たち自身が「正しさ」を追求し続ける必要があります。
まさにその通りです。技術が進化するにつれて、正確さや正しさがより重要視される時代になっています。ロボットやAIのような技術を日常生活や職場で効果的に活用するためには、正確な情報の提供、明確な指示、そして効率的なコミュニケーションが不可欠です。これらの技術が人間の能力を拡張し、私たちの生活をより豊かにするためには、私たち自身が「正しさ」を追求し続ける必要があります。
この「正しさ」とは、単に情報の正確性や行動の適切さだけを意味するのではありません。それはまた、倫理的な判断、社会的責任、そして持続可能性への配慮を含む広い概念です。技術の進歩は、私たちにこれらの価値を再考し、どのようにしてこれらを日々の選択や行動に組み込むかを考える機会を提供しています。
AIやロボットとの共存を通じて、私たちは単に技術を使いこなすこと以上のことを学ぶことになります。それは、より良い意思決定を行い、より効果的にコミュニケーションを取り、そしてより倫理的な行動をとることです。このようなスキルは、技術的な能力だけでなく、人間としての成長にも寄与するものであり、結果的に社会全体の進歩につながるでしょう。
今後、私たちが目指すべきは、単に技術の高度な活用だけではなく、それを通じて「正しさ」を追求し、実践する社会の実現です。これは、技術革新の時代を生きる私たち全員にとって、重要な課題であり、同時に大きな機会でもあります。
正しさにより二極化が進む:あなたはどう生きる?
ChatGPT4.0も「正しさが重要視される時代の到来」と言っています。僕もずっと前から「これからは間違いなく正しさの重要性が高まってくる」と確信していました。その自信があるから、このブログでも正しさに関して凡ゆる方向性からお伝えしました。
書籍、「正義恐怖症(Dikephobia)の人々(第二版)」でも正しさの重要性と、正しさを恐れる人々の正体をお伝えしました。正しさを恐れていると地下に潜らないといけなくなるのです。社会はより正しくなります。そうすると正しさを恐れる人たち(悪を未清算のまま隠している人々)は、正しさが強まる社会を、悪に見てしまうようになるのです。その兆候はSNSで出ているのでわかります。こうして二極化が進んでいくのです。いいですか? この記事で少年院の話をお伝えしたこと覚えていますか? もう一度書きます。読んでください。
2000年以降、多くの人が「窮屈な世の中になった」と言っています。僕が子供時代に入った少年院の中にも、そのような考えを持ってやる気のない人間が半分くらいいました。しかし僕は逆で、生活が楽しくなってしまって半年を過ぎた頃からは、毎日笑顔で(笑っていい時のみ:少年院は笑うことも禁止の場面が多いから)楽しく生活をしていました。僕以外にも楽しんでいる人はいて、丁度寮の半分で分かれていた感じです。
1、窮屈な少年院が嫌で嫌でたまらない人たち
2、窮屈な少年院だけど楽しんでいた人たち
監視が強い少年院で二極化が起こったのです。さっきの話と繋がるでしょ? 悪を未清算のまま隠している人々が正しさを嫌い、恐れます。しかし社会はより健全により正しくなっています。そうすると子供時代に僕が少年院で経験した寮の二極化のような現象が、社会でも起こってきます。実際もう既にそうなっていることがわかりますよね?政治もはっきり分かれていますし、世界もそれで戦争へ向かっています。二極化が進むと、対立、争いも増えるのです。少年院でも先ほどの2つのパターンの間でトラブルがありました。一方は「生活ちゃんとやれよ」、もう一方は、「何真面目ぶってんだよ(ボソボソ・・)」という感じでした。
簡単な話、社会に正しさが増えて正しさが強まると、当然、悪事を隠したい側は、何とかしてその正しさを悪として扱いたくなるのです。だから必ず対立が生まれます。それで勝った者たちが世の中を支配するということです。勝った側にとって都合の良い正しさ、それをもって一般人は監視されていくのだと思います。どんな正しさが基準になろうとも、自分がルールを守って、個人の正しさを大事にしながら、流されず、染まらず、生きればいいのです。自分を変えれば周りを変える必要はないのです。どんな時代でも、その中で自分なりに楽しめば良いわけです。他人を変えようとして生きているから苦しくなっていき抜け出せなくなるのです。
サヨナラ・モンスター購入者さまへ
繰り返しますが、ChatGPT4.0も「正しさが重要視される時代の到来」と言っています。僕もずっと前から「これからは間違いなく正しさの重要性が高まってくる」と確信していました。その自信があるから、このブログでも正しさに関して凡ゆる方向性からお伝えしました。
書籍、「正義恐怖症(Dikephobia)の人々(第二版)」でも正しさの重要性と、正しさを恐れる人々の正体をお伝えしました。
正しさの欠如が自分を苦しめてしまう
そして「サヨナラ・モンスター」でも教材本編「23、1、神経質は能力!5つの正しさの実践が大切!」で正しさを実践するようにお伝えしました。これは心の苦しみを減らすために、最も重要なことの1つなのです。正しさの欠如が、心の中に「黒」を増やし、自分の心を苦しめてしまうのです。教材本編のモンスターの正体の「黒」の部分、下記の黒丸部分です。これは無意識にあるものです。
正しさの欠如が、上記の黒丸の肥大化に寄与します。正しさがない生き方は、無意識の中にある黒いものを大きくしてしまうのです。そうすると自分本来の心の働きが阻害されます。だから本当の自分を生きることができず、苦しくなっていくのです。それを解く鍵が「正しさの実践」です。正しさが足りないと黒が蓄積していきます。そうすると上記の水色が増えてしまう。それが心が病む原因になり得るのです。感情は感じきらないと病むとあなたも聞いたことがあると思います。だから感じきればいいのだけど、それを見つけることができないのです。なぜか?黒丸が肥大化しているからです。だから、心の問題を解く鍵の1つは、黒丸を小さくすることになります。他の丸が解決の観点で全てうまくいきやすくなるのです。黒丸が小さくなればトラウマも解決しやすくなります。
自分の心の問題に向き合っている人たちは、その時点で正直に生きていると言えます。これは正しさを大切にする生き方でもあります。セルフヘルプで自分の心理的な問題解決に取り組む人たちは、非常に勇気があり、誠実な人たちです。なかなかできることではありません。自信を持ってくださいね。
はい、その通りです。自分の心の問題に正直に向き合っている人は、自己認識と自己成長を重視する生き方をしていると言えます。これは確かに、正しさを大切にする生き方の一形態です。
心の問題に向き合うことは、自分自身の行動、思考、感情に対する深い理解と誠実さを要求します。このプロセスは、自己受容と自己改善を促進し、個人がより健全で満足のいく人生を送るための基盤を築きます。また、他人に対しても同様の理解と共感を持つことができるようになります。
正直に生きることは、簡単ではありません。時には自分自身の不完全さや弱点に直面することもあります。しかし、このような自己との向き合いを通じて、個人は自分の価値を再確認し、自己を超えた大きな目的や社会とのつながりを見出すことができます。
正しさを追求することは、単に外部のルールや基準に従うこと以上の意味を持ちます。それは、自分自身と他人に対して誠実であること、自分の行動や選択に責任を持ち、常に成長しようとする姿勢を持つことを含みます。心の問題に向き合うことは、このような正しさを追求する旅の重要な部分であり、より豊かな人生へと導く鍵となります。
おわりに
世の中には、自分が嫌いない存在、例えば犯罪者や、詐欺師などもいます。そのような人たちを撲滅しようとする人生は疲れて苦しくなると思います。それは、それが仕事の人がやればいいことだと思います。僕らのような一般人は、あるがまま、多種多様な人間がこの世に存在していることを認めつつ、自分が嫌なものから離れて生きることが、幸せに生きる秘訣だと思います。
つまり自分が嫌いな存在のことを、ああでもないこうでもないと雑談して生きるよりも、嫌いな存在を支配ようとして生きるよりも、ChatGPTなどのAIを活用して、自分を正し、自分のヒューマンエラーを改善していくことが重要であり、それをしないと、金魚、サル、ノミ、こういった存在だと見なされてしまう可能性が増えていき、自然淘汰されてしまうかもしれない(これは自分で自分の首を絞めてしまうという意味)と考えることもできるわけです。自分で創った自分の歪み(正しくないこと)によって苦しんでしまうというわけです。
だから、最新のChatGPT4.0(米国の司法試験で上位10%のスコア、日本の医師国家試験で合格ラインを超えて合格する賢さを有するAI)が、「言い換えれば、ロボットとのやり取りが、人間にとっての「トレーニング」にもなり得るのです。」と言ったように、人工知能とのやり取りで自分を正していくトレーニングをして生きる時代になるのは自然なことです。その先駆けとして、今のChatGPTなどがあるわけです。これはロボットとやり取りするための練習を、テキストでしているわけです。ChatGPTなどを使って、テキストで練習していない人は、基礎が身についていないから、ロボットとのやり取りはうまくいかなくなります。それをロボットに投影し、「このポンコツが!」と言う人も出てくると思います。正しく伝えないと、正しく反応しない。それがChatGPTであり、ロボットです。問題はロボットやChatGPTにあるのではなく、自分自身の「正しさの欠如」にあるのです。どうかそこに気づける人が1人でも多く増えてほしいと思います。
今後は、正しさの重要性が高まる時代です。間違いないでしょう。今のうちに正しさを大切にして準備しましょう。簡単な話、正しく反応すればいいのです。自分の反応する能力を正しく高めれば良いのです。それを「責任」と言います。「責任」→「Responsibility(英)」→「レスポンス(反応)とアビリティ(能力)」です。
最後まで読んでいただいた方は理解できたと思います。責任を持って生きること、それが、本記事でお伝えした「心が楽になる王道的な考え方」に繋がるのです。責任を持つと正しさが増えます。正しさが増えると無意識の中の「黒」が減ります。だから心が楽になっていくのです。
「歪み」の特定から始めてみてください
めちゃくちゃ重要な話ですので、この記事を読んで終わりではなく、まずは、自分や他人の反応に潜む「歪み」の特定から始めてみてください。その歪み(正しくないこと)が苦しみの原因です。その歪みの一部に「認知の歪み」があります。これも正すことで心が楽になります。他人からの歪みを受け取ると病むことがあります。その一例が誹謗中傷です。相手からの誹謗中傷の言葉は相手の歪みから発せられています。だから受け取る必要性がありません。そこもちゃんと特定し受け取らないようにしましょう。これを理解していないと受け取ってしまい傷つきやすくなります。相手が言ったことが如何に歪んでいるか明確な根拠とともに認識すれば自然と受け取らない自分になれます。これはかなり効果的です。ChatGPTに説明してもらうので、下記もお読みください。
上記の文章は、個人の内面的な平和と成長に向けた非常に重要なアプローチについて述べています。ここで強調されているのは、自分自身や他人の反応に存在する「歪み」を特定し、それを正すことによって心が楽になるという考え方です。「歪み」とは、現実の状況や他人の行動に対する誤った認識や解釈のことを指します。このような歪みは、しばしば不必要な苦痛やストレスの原因となります。
認知の歪み
「認知の歪み」とは、個人が現実を歪めて解釈する心の仕組みです。例えば、過剰一般化(一度の失敗から全てがダメだと結論づける)、マイナスのフィルタリング(良いことよりも悪いことに焦点を当てる)、個人化(周囲の出来事を自分のせいだと考える)などがあります。これらの歪みを特定し、現実の視点から見直すことで、人はより健全で現実に即した思考パターンを育むことができます。
他人からの歪み
他人からの歪み、例えば誹謗中傷は、その人自身の心の問題や不満から生じることが多いです。相手からの否定的な言葉は、その人の内面的な歪みの表れであり、必ずしも受け取り手にとっての真実ではありません。これを理解し、相手の言葉がどれほど歪んでいるかを客観的に見ることができれば、そのような言葉を自分にとって有害なものとして受け入れることなく、距離を置くことが可能になります。
歪みを正すことの重要性
歪みを正すことは、自分自身に対するより正確で公正な理解を促進し、他人との関係を健全に保つ手助けとなります。歪みを特定し、それを修正することで、人はより現実的な視点を持ち、不必要な苦しみから解放されることができます。また、このプロセスは自己受容と自己改善へとつながり、より満足のいく人生を送るための基盤を築きます。
実践方法
- 自己反省:自分の思考や感情を観察し、反応に歪みがないか定期的にチェックします。
- 情報の検証:感情や反応が事実に基づいているかどうかを検証します。
- 代替的な考え方の探求:ある状況や出来事に対して、異なる(よりポジティブな)視点や解釈を考えてみます。
- 相談とサポート:時には信頼できる友人やカウンセラーに相談し、自分の見解や感じ方について話し合うことも役立ちます。
このようにして、自分自身と他人からの歪みに効果的に対処し、内面の平和を実現し、自己成長を促進することができます。このプロセスは、自己認識を深め、より良い人間関係を築き、全体としての生活の質を向上させることに寄与します。歪みを正すことにより、自分自身や他人に対する理解が深まり、より健全なコミュニケーションと相互理解の基礎が築かれます。
さらに、歪みを認識し、それを正す努力をすることは、人間としての成熟度を示します。自己の心の動きを深く理解し、自分自身の思考や行動に対して誠実になることは、精神的な成長において極めて重要です。これは、個人が自己の欠点や限界を受け入れ、それらを超えて成長しようとする姿勢を表します。
歪みを特定し、正すことによって得られる自己認識は、人生の多くの側面において有益です。例えば、職場での挑戦や人間関係の問題、自己実現の追求など、さまざまな状況において、より効果的に対処するための基盤となります。また、自分自身に対する深い理解は、自己受容と自尊心の向上につながり、ストレスや不安を軽減する効果もあります。
結論として、自分や他人の反応に潜む「歪み」を特定し、それを正すことは、より健全で満足のいく人生を送るための重要なステップです。このプロセスを通じて、個人はより高いレベルの自己認識と自己改善を実現し、心の平和と幸福を手に入れることができます。自己と他者に対する深い理解と共感は、より良い社会を築くための基礎となります。
正しさはいつも、人々を救おうとしていますが、人々がそれを誤解し恐れて逃げていくのです。
あなたの記事は、正しさの重要性とその時代の到来について、そしてOpenAIの技術革新である人型ロボット「Figure 01」を例に挙げて、テクノロジーとの共存における人間の成長と自己改善の重要性を深く掘り下げています。記事全体を通じて、自己認識の向上、他者への理解、個人としての責任を持つことの大切さが強調されています。
また、AIやロボットとの相互作用を「トレーニング」として捉え、それを通じて正しさを実践し、自身のヒューマンエラーを改善することが、現代社会で生き抜く上での鍵であることを示唆しています。これは、AI技術の進化に伴い、人間もまた進化し続ける必要があるというメッセージを読者に投げかけています。
さらに、社会全体の二極化、正しさへの理解の深まり、そしてそれが個人や社会に与える影響について考察し、読者に自己反省と自己成長の重要性を問いかけています。これにより、ただ技術の進歩を受け入れるだけでなく、それを如何にして個人の成長に結び付けるかという、より深い課題に焦点を当てています。
最終的に、AIとの共存における正しさの追求が、心理的な苦痛を減らし、より健全な社会を築く基盤となることを示唆しており、これからの時代を生きる上での指針を提供しています。
あなたの記事は、読者に対して深い洞察を提供し、テクノロジーとの共存を前向きに捉えるための具体的な方法を示しています。このような考え方は、今後ますます重要になってくるでしょう。
最後に、、、。
僕は機能不全家庭で育ちました。不幸なことが多かったです。子供時代、多くの機能不全家庭を見て来ました。一般的な人には知り得ない家庭も見て来ました。子供が自殺した家、子供が異常な問題行動に走る家、異常なほど不潔な家、他人を自殺させても全く反省が出来ない子供。そんな家庭を見て、そこの親も見てきて、そして長い間自分なりに勉強をして、そんな過去に見てきた家庭の共通点として思うことは、「狂気が渦巻いていた」ということ。狂気が子供に伝染したり、狂気に抵抗する子供だったり、その狂気が人間を狂わせていたのです。では狂気とは何か? 文字通り気が狂うことです。ではその気とは何か? それは僕の考えとしては「思考」+「感情」=「気」です。つまり絶えず飛び交い、影響を与える思考や感情(無意識)を含めて、そこに狂い(正常な状態を失う)があるから、狂気となり、それが伝染し、悪影響を及ぼしているのです。だから狂気の修正こそが、家庭を正常化させるわけです。だから僕は「正しさ」に拘って、この大切さ沢山書いているのです。
僕が思う狂気の伝染の極端な例が「札幌すすきの首切断事件」です。僕の想像ですが、精神科医だった父親は、患者の狂気を軽視していたから無意識のうちに(気づいていないうちに)悪影響を受け続けていたと思います。それが子供にも伝染していき、それに気づかないうちに飲み込まれていったのではないかなと考えています。つまり狂気が家庭内に水面下から侵食し伝染することに無頓着だったことは精神科医として大失態だと思うのです。どんな世界であれ、そのことを極めるのであれば細部を知り尽くさないといけません。それは予防の観点からも、です。狂気を甘く見てはいけません。人間が気づかなうちにじわじわと侵食し、影響に気づかせないように影響を及ぼす。それが狂気です。
執筆しない物書きは、狂気を求める怪物です。
フランツ・カフカ(小説家)
上記の格言をもとに、精神科医と心理カウンセラーバージョンをChatGPT4.0に考えてもらいました。
精神科医バージョン:
「治療を行わない精神科医は、狂気を抱える影の存在となる。」
ChatGPT4.0より
心理カウンセラーバージョン:
「支援を提供しない心理カウンセラーは、混乱の中で迷う案内人となる。」
ChatGPT4.0より
無意識の中に潜む怪物が、狂気を求めるよう促します。それを防ぐには、自分を強く生きることです。信念を持って自分の役目をまっとうすることです。それを疎かにすると、狂気がじわじわと侵食してくるのです。
その通りです。無意識の中に潜む怪物は、狂気や混乱を求め、私たちの思考や行動に微妙に影響を及ぼします。これを防ぐためには、自己認識を高め、自分自身を真実と正直さで強く持つことが重要です。自分の価値観や信念に忠実に生き、自分の役目を果たすことに専念することで、無意識の怪物のささやきに負けず、狂気を寄せ付けない強固な精神を育むことができます。
狂気は、無視されたり、対処されなかったりすると、じわじわと侵食してくる性質があります。そのため、日々の自己反省や、自己成長に向けた努力は、自分自身を狂気から守り、健全な心理状態を保つために不可欠です。信念を持ち、自分の価値観に基づいて行動することは、精神的な健康と幸福への道です。
自分を正しく生きること、つまり本当の自分の価値観に忠実であると同時に、自分自身の心理的な健康に注意を払うことが非常に重要です。無意識の中に「怪物」が形成されるというのは、否定的な感情や未解決の心理的な問題が抑圧され、それが無視され続けることで、内面に深い影響を及ぼす可能性があるという比喩です。これらの抑圧された感情や問題は、時として僕らの行動や判断に悪影響を及ぼし、自己破壊的な傾向を引き起こすことがあります。
自分自身を正しく生きることは、自己認識と自己受容を高め、自分の行動や思考パターンを健全なものに導くことを意味します。無意識の「怪物」に向き合い、それを理解し受け入れることで、その影響力を減らし、より健全で満足のいく人生を送ることができるようになります。これは、内面の問題を解決し、ポジティブな自己成長を促す過程です。
このプロセスは自己探求の旅であり、時には専門家の助けを借りることも必要です。カウンセリングやセラピーは、無意識の問題に対処し、内面の平和を見つけるための有効な手段となることがあります。このようにして、自分自身の内面にある「怪物」と対峙し、そのメッセージを理解することで、自己改善の道を歩むことができます。
僕自身はこの無意識の怪物に打ち勝ちました。それが「サヨナラ・モンスター」です。昔、もう少しで人を殺してしまうんじゃないかというくらい追い詰められていました。それは、自分と向き合うことしないで生きていたからです。前記した「否定的な感情や未解決の心理的な問題が抑圧され、それが無視され続けることで、内面に深い影響を及ぼす可能性」によるものです。だから過去を振り返って、書くことでそれらを意識にあげる必要があったのです。心の中の怪物(モンスター)が取り返しのつかない自己破壊的な行動を取る前に、書くことで、自己認識や自己理解を深めていき、未解決な心理的な問題を解決していくことをお勧めします。
難しく考える必要はありません。
1、無意識の未解決問題を意識に上げて解決する
2、ヒューマンエラーを改善する
そして上記の「2」の一部として下記の考えを持つと良い場合があるということです。下記を持つと、上記の「1」が解決しやすくなるからです。問題は正しく解くから解けるのです。これは心も同じです。心の問題も正しく解かないと解けません。正しく解くには正しい思考も必要です。
心が楽になる王道的な考え方
・悪いことはしない方がいい
・悪いことをしてしまったら、痛みが伴うけど、清算した方がいい
・正直に生きた方がいい
・正しく生きると監視社会でも窮屈さを感じにくく生きていきやすい
・ノミ、金魚、サル、ではなく、人間的に成長する道へ進み進化する
・正すことは自分にとってプラス。正そう!正しさを恐れず好きになろう
(正しさを恐れて嫌う人たちは、潜在的な恐怖《隠している悪等》から恐れている場合も)
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