この記事では、実際に親を恨んだ経験がある僕自身のこと、そして、親への怒りを手放して親への恨みを克服したことでわかったことを書きます。今、親への恨みを持っていて克服したいと思っている方に参考になるかもしれません。
恨みとは?
恨みは、何らかの仕打ちを受け、または受けたと感じ、相手に対していつまでも不満や不快感を持ち続ける感情です。何らかの仕打ちを受けたりして、それが適切に処理しきれないほどのことだったから恨みを持ち続けるのです。その「恨み」に「相手への報復」の思いが加わっていけば「恨み」が「怨み」に変化して、それが繰り返される(念ずる)と「怨念」になり、自分自身がまるで悪霊かのようになってしまいます。
ですので、「恨み」→「報復したい気持ち」→「怨みに変化」→「繰り返し念ずる」→「自分が悪霊化する」・・・。このようになってしまえば、自分で自分の首を絞める結果となり、まさに「人を呪わば穴二つ」という最悪の状態に落ちてしまいます。ですので、報復心のない「恨み」のうちに克服しておくことが大事です。
恨みは健全、怨みは不健全。このような感じだと思います。
僕の場合は、親や兄弟への恨みは報復心のない「恨み」のほうでした。僕自身、受けてきたことを報復心の「怨み」として持ち続けていれば、大変なことになったと思います。どうしてもそれは出来ない。やっぱり心の奥でどんな酷いことをされてきても、「家族に幸せになってほしい」という思いも片隅にあったからです。
そして、この恨みは「支配したい気持ち」「甘え」から生まれるものです。自分の中に、相手を支配したい気持ち、甘えたい気持ち、こういったものが隠れています。
恨みを持つことは大事なことだけど…?
前記したように、
恨みは、何らかの仕打ちを受け、または受けたと感じ、相手に対していつまでも不満や不快感を持ち続ける感情です。何らかの仕打ちを受けたりして、それが適切に処理しきれないほどのことだったから恨みを持ち続けるのです。
恨みを持つことは、その時の自分の感情として大事なことです。その感情を無かったことにする必要はありません。思う存分、自分が受けた仕打ちによる不快感、不満を感じきれば良いのです。感情は感じきれば消えていきますので。逆に、この恨みの感情を感じきれないで無かったことにするから、心の奥で恨みの感情がまとまっていき、それが肥大化し、大きなものとなり、無意識のうちに悪影響を出すようになるのです。それは「サヨナラ・モンスター」でお伝えしている”まとまり”と繋がっている話です。
恨みの感情に蓋をしても恨みは消えない
感情に蓋をしても感情は消えません。だから作られた感情は責任をもって感じきれば良いのです。ただ感じ切るだけではなく、何らかの言動とつなげる必要があります。なぜなら感情は「燃料」でり、言動の燃料となっているものだからです。そのために作られているのです。
だから、大事なのは「恨みを晴らすために恨む」のではなく、「恨みを克服するために恨む」のです。この恨みという感情を燃料として恨みを克服するために恨めばよいのです。
「恨みを晴らすために恨む」のは、やがて「怨念」になり自滅します。そうではなく、「恨みを克服するために恨む」ということは「自分で自分を救う」ということなのです。自分が恨みの感情を持つだけの何かが確かにあった。それをしっかり自分で理解するのです。自己理解です
自己理解を深めるために、作られたけど感じ切れていない感情(未処理・未消化)を見つけて感じきれば良いのです。
恨みの感情を癒すには
恨みの感情を癒すには、まず「癒し」=「理解」であることを知ってください。理をもって解くこと、それが癒しなのです。つまり、自分で知っているようで知らない「恨み」を理をもって解くのです。
自分で知っているようで、実はちゃんと知らないのです。間違った思い込みや、大きくしている部分、逆に小さくしている部分、色々あって、「恨み」になっているのです。つまり、整理整頓され、感情が解かれていくと恨みは消えていくのです。
これも「サヨナラ・モンスター」の方法(書くこと・感情を開放すること)で少しずつ小さくなっていきます。
過去を振り返って感情を感じきる
僕は、ずっと過去を振り返ってきました。過去に置き去りにした自分を救い出すために。
自分で自分を過去に置き去りにしたのは僕が9歳~10歳のころ。それは、親の都合で引っ越した頃。親は不動産会社の社長で当時暴力団などの組織と関わっていて一緒に仕事をしていました。一緒に仕事をしていたというのは建前上。実際は暴力団が組織ぐるみで親を騙して利用していたのです。最後、夜逃げをしたのですが、親の運転者をしていた組員が僕ら子供に情が湧いていたからか、「今日中に逃げて!」と教えてくれたそうです。その理由は「殺す計画がある」と教えてくれたそうです。
つまり、すべての悪事を親の所為にして借金だらけにさせて、一家心中というシナリオで片づけて、儲けた金だけを暴力団が頂く…というシナリオだったそうです。つまりまんまと騙されてしまったというわけです。僕も、当時8歳、ヤクザマンションと呼ばれる暴力団、暴力団関係者しか住んでいないマンションに住んでいて、毎日エレベーターで暴力団に「坊主、大きくなったら立派なヤクザになるんだぞ」なんて言われていて、とても嫌だったのを覚えています。
そして、会社のお金が、残りわずか600万程度しかない状態でそのお金をもって夜逃げをしたのです。親は一切動じておらず、僕ら子供に「今からディズニーランドに連れてってやるからな」と言い、夜、家族みんなで家を出ました。自分も家族も殺されるかもしれない、そんな心理状態の中、子供に心配かけたくないから優しく、「今からディズニーランドに連れてってやるからな」といったのだと思います。
そしてそのまま、日本中のあちこちを旅行しながら、住む場所を考えていたようで、結果、遠くではなく、夜逃げをしたところから近いところに住みました。親は自分なりの清算をしようとしたのでしょう。それから、たくさん抱えた借金の清算の日々です。
このことを、ふと昔住んでいた住所を検索した時に見たグーグルマップでの写真です。
昔、9歳から13歳まで住んでいた家が今も残っていました。親は、暴力団に巧妙に騙され、借金だらけになり、この家で、家族を養うためにレントゲン技師の仕事をし始めたのです。
この道を通って、毎日レントゲン技師の仕事のために病院に通ったわけです。雨の日も風の日も、具合が悪い日も、寝ていない日も、1日も休むことなく働き続けたのです。
僕ら子供は、そんな事情は理解できませんし、その立場になったら大変だということもわかりません。だから、この家で始まった親からの今で言えば虐待ですね。それが始まったわけです。だから僕ら子供も子供なりに反発して、僕の場合は、夢を壊されたと感じ、警察官になりたい夢と逆の空き巣をしました。計画を立て、事前に情報収集し、知り合いの家に入り50万円を盗みました。それから自転車を盗んだり、生協の金庫からお金を盗もうという浅知恵で、閉店間近にトイレに隠れたりして、おじいちゃんの家に行こうと思っていました。「おじいちゃんならこの辛さをわかってくれるはず」なんて思って。
親は心理的に限界だったのです。だから八つ当たりもエスカレートして、支配的になり、暴力的になり、「嘘をつくな、嘘をついたら骨をへし折るからな」と脅してきたり、食事中も一切の会話もなし、テレビもつけたらだめ、右を向くことも禁止でした。それも今ならわかります。暴力団に組織ぐるみで騙された。だから死ぬほど嘘が嫌だったのでしょう。このように、僕が親を恨むまでに至った出来事、これら過去の記憶、それを振り返り、それに新しい解釈をしたのです。
今ならわかる。親は苦しかったのだと。
だけど当時は9歳、10歳。わかるはずもない。だから、「なんて嫌な奴なんだ!」「あのクソジジイ!死ねや!」と子供の時は毎日思っていました。毎日嫌なことを言われ、命令され、夏休みはみんな遊んでいるのに、僕は8時間の勉強。運動会も親は来ない。1位にならないとダメだと毎日うるさい。そしてお経も唱えさせられて、寂しくて、怖くて、気が狂いそうだった。
そして13歳、中学に入ると「暴走族に入っている奴がいるらしい、だけど入学式からこない」なんて噂になっている人がいた。僕はなぜだか無性に気になり、「これだ!」みたいに思った。その噂になっている人のクラスの連絡網をもらい、電話をした。そして夜中家を抜け出して会う約束をした。
そして、僕は下の写真の二階の窓から抜け出し、塀の上に乗り、塀から下に降りて、待ち合わせ場所に向かった。
そして、その相手と会い、仲良くなり、それから家出ばかりするようになりました。学校にも行かず、家出して空き家や廃旅館などで寝泊まりするようになりました。1年の半分くらいは家出をしていました。「くそジジイざまーみろ!」なんて思いながら、自由に生きていました。子供ながらに支配から抜け出す道を見つけたような、自由になれたようなそんな気持ちだったのです。
当時は、中学生が学校に行かず、外でたばこを吸っているだけでもすぐに警察が来る時代でした。そして補導されて親を呼び出されます。警察から逃げる生活がスリル満点で楽しくて、捕まって家に戻されてもまた家出して、寝る場所を転々としながらみんなで家出していました。
廃旅館に警察が来て、その後、廃旅館の窓に板が打ち付けられたりして入れなくなれば、次は、下の写真の白いマンションの屋上の右から屋上に出て、そこから左のボイラー室に入り、みんなで集めた段ボールをボイラー室に敷いて寝たりもしていました。翌朝、顔も鼻の穴も黒く汚れていたりもしました。そして下に降りようとしたら屋上のカギがかけられていて出られなくなったりしたこともありました。
寝る場所を転々としながら、みんなで集めたお金や食料でなんとか生きていました。まともに食べられない時もあり、友達が栄養失調になったりしたこともありました。みんな家庭環境が酷く、家に帰りたくない者たちばかりでした。家でたばこを吸ったことがバレた子は、親の弟からパイプ椅子で顔の原型をとどめないほどボコボコにされたり、警察からも「あいつはやるといったら本当にやるから気をつけろや餓鬼ども」なんて言われたり、蹴られたりしていた子もいました。そうした経験が「世の中は汚い」という考えに繋がっていったのでしょう。
補導回数は、家族きれないほどありました。夜中につかまって親が警察に呼び出されることも何度もあり、夜中の2時半ころに親が迎えに来たり。そして親はあまり寝れないまま仕事です。
親が子供に圧力をかけるから、僕ら子供も人生と夢を捨て、それに反発した。だから間違っているのは親だ。とずっと恨んでいたんです。
だけど、今になって、その時の状況が、心理的にもわかるのです。どれほど大変だったか。自分で蒔いた種にせよ、巧妙に騙され殺されるかもしれなかった状況で、家族に心配をかけないように気遣ってくれて、なんとか家族に飯を食わしてくれた。そして僕が空き巣をした子供のころ、その頃は、親は残りのお金も使い果たし、ギリギリの状態でした。親は、レントゲン技師よりも、一時的に当時給料が良かった肉体労働の仕事に数か月行きました。当時、確か40万~50万くらいだったそうです。
そうやって、家族に食べさせるために必死だった。そんな状態のことを考え理解が深まってきたら「親が子供に圧力をかけるから、僕ら子供も人生と夢を捨て、それに反発した。だから間違っているのは親だ。とずっと恨んでいたんです。」の恨みは減っていきました。
相手がそうなってしまうだけの理由、それが理解できたのです。だから許せる気持ちになり、水に流そう。そう思えたのです。
そこで、この気持ちは伝えておかなくてはならない。そう思い、以下の手紙を昔住んでいた写真と共に書きました。
昔住んでいた家をネットで見ました。
この写真を見た時に、二人が一生懸命子育てをしてくれていたという視点に気がつきました。
子供たちも子供たちなりに苦しくて限界だったけど、親も親で苦しい中、一生懸命生きていたこと。
仕事もして、家事もして、脳梗塞にもなり、不安と恐怖もあり、そんな中、子供たちが悪さをしてその後始末をして、本当に大変だったなと思います。
その大変さは、今は前よりわかるようになりました。
一生懸命子育てをしてくれてありがとう。
そして、二人、仲良く、自分たちのことを考えて、大切にして、長生きして幸せに生きてください。
僕は、親を責めたことがある。きっとそれは親の心に深く刺さったはずです。だからこそ、それをとらないといけない。
この手紙は、それをとってくれるだろうと思い、母親のほうに渡しました。
泣いていました。
恨みを克服するには、過去をしっかり振り返り、自分の感情を最後まで感じ切り、そして、「温故知新(故きを温ねて新しきを知る)」ということざわの通り、過去から新しいことを知れば良いのです。僕は、自分が未熟だったからわからなかった、当時の親の苦しみや努力、色々知ることによって、新しいことを知りました(心の更新)。
それにより、怨みを作り出す解釈に変化が起こり、何らかの仕打ちを受け、または受けたと感じ、相手に対していつまでも不満や不快感を持ち続ける感情である恨みが消えたのです。相手の事情を深く相手の立場で知ることが出来たなら、誰もその人を責めることなんて出来ない。
自分の支配、依存、甘え、それから生まれている我がままのようなもの。それが自分をも苦しめます。更に、報復心を持ち、繰り返したら怨念となり、自分が悪霊と化すのです。
大事なのは、感謝すべきことに気づけるような自分になること。
親への恨みを克服するには、まず自分が自分の親となることです。
親となるならば、心の奥で悲しんでいる自分の恨みの感情を最後まで吐き出させてあげること。
そして知ることを増やし、あらゆる視点を手に入れること。
相手の立場で、出来るだけ正確に考えることが出来るようになること。
それが出来るようになればなるほど、相手を責めることなどできなくなります。
みんな、それぞれの形で一生懸命生きています。
生活をする。生きる。簡単じゃない。
僕が、自分を自分で心の刑務所にぶち込んで、わかったことです。
どうしょもないくらい歪んだ考えを持っていたので、人を刺してしまいそうな考えでした。
得体のしれない恐怖におびえ、それを誤魔化すためにすぐに「刺す」なんて考えをして。
だから、人との関わりも遮断し、自分を心の刑務所にぶち込んだのです。
事件を起こして刑務所に入りたくなかったので。それほど精神的に追い詰められていたってことです。
そして、過去を振り返り、「温故知新(故きを温ねて新しきを知る)」を大事にした。
その結果、恨みも水に流し、心はまた1つ軽くなりました。
まだまだ自分の問題は残っているけど、確かに変化してきています。
身近に転がっている、感謝すべきことや、小さな幸せに気づけるようになることが大切なことです。
追記
前記した手紙を母親が読んで、14日、母親から電話が来ました。
「ありがとう。手紙を読んでから色々考えて、自分は周りに甘えてばかりだったと気づいた。この歳だけど心から勉強したいと思うようになった。病気の後遺症もあり、もう人生諦めていて、もう死んでもいいやって思っていたけど生きる希望が湧いてきたから自分の幸せのために出来ることをやりたいと思うようになった」と。
うちの家族は、徹底して互いに自己評価を下げるような異常な家庭でした。今でもそれを続けている者もいるので家族はバラバラです。そんな中、大事なことは「誰かが、現状を認める」ということ。どんな状態でも今まで一生懸命頑張ってきた結果なんだと。そしてこれからもっと幸せになっていけるのだと信じること。
僕は親に「あなたたちからされたことは水に流した。そして一生懸命頑張ってきたこともわかっている。だから自分のために出来ることをやって幸せになってね」と伝えた。すると「生きる希望が湧いてきた」と言う母親。これは1番大事なこと。生きる希望が湧いてくると、それが様々な原動力となります。
相変わらず父親は「あんな野郎の顔も見たくねぇ」という感じで僕を毛嫌いしているそうです。実の子を騙し、酷い扱いをしてきて、奴隷として扱い、それが対等にものを返すようになったら顔も見たくない、話しもしたくない。と。その気持ちは今ならすべてではないけどわかります。
そしてそれは僕の課題じゃないので僕には関係ありません。僕は、されたことは水に流し、自分の中で伝えるべきことを伝えるために両親に手紙を書いた。それをどう解釈するかは向こうの問題。それにより、母親は生きる希望が湧いてきて、父親は更に僕を毛嫌いしている。僕は過去に真実を突き付けたからです。誤魔化しのやり方で家族を支配する仕組みから抜け出し、僕はそれを明確にして伝えました。それでは良い結果にはならないと。
だから僕が実家に行けば、後から母親に八つ当たりをするそうなので、僕は実家には行かないようにします。つまり、多くの妄想に頼りすぎている状態から、現実を知っていくことが怖いのでしょう。母親はその八つ当たりの恐怖にずっと脅えていましたが、今は変化が起こってきたそうです。そういった父親の気持ちがわかるようになってきたそうなのです。それを聞いて安心しました。そして母親にこう言いました「俺が悪役のままいればいいんだよ。そうすれば(父親が)これから良くなっていくまでの心の支えになるから」と。
僕のことを嘘も含めて悪く思い続けながら安定を保ちつつ、その間に父親と母親との関係が良くなっていけば、「お互いに心から感謝し合えるようになる」はずです。事実、父親が僕を毛嫌いし陰で悪者扱いするようになってから、父親は母親に優しくなっていったと、母親から聞きました。
誰かを過剰に悪者扱いしている人は、心が不安定です。自分が今までやってきたことを知った時に「なんてことをしていたんだ…」と気づくこともあります。それはとても衝撃的なことです。そして、父親は現実を見れないほどつらい時期もあったはずです。だから、「嘘」に頼ったのでしょう。その嘘が家庭内を飲み込み、家族がおかしくなってしまった。その時はそれが最善だったのです。だから、よくなる時が来ればよくなっていくのです。
この調子でいけば、心から「ありがとう」と言い合える2人(父親と母親)になると思います。
「成長」「問題解決」の大切さがわかり、生きる希望が湧いてきたと言う母親。その変化が父親に良い影響を出し、癒されるべきものが癒されていくと思います。
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